新型コロナウイルス関連の投稿は当分の間厳禁といたします。詳しくはこちらをご覧ください。, 紀勢本線は新宮駅を境にJR西日本側が電化されているのに対し、JR東海側は非電化となっています。もし紀勢本線のJR東海区間(亀山~新宮間)も電化されていたら・・・, https://wiki.chakuriki.net/index.php?title=もしあのJR路線が電化されていたら&oldid=1642333, 青函連絡船が現役の頃に電化されていた場合、連絡船内を電化する事で車両航送時の手間を省くことが検討されていた。, 少なくとも海峡が廃止されるまでは客車列車のままだったと思う。カーペットカー等の需要によっては今でも史実通り客車急行のままかもしれない。, 北斗星・トワイライトエクスプレスの北海道区間は独自設計の交流機関車(ED710?)が導入されていた。, スーパー北斗が青森→新青森まで延長運行されていた。この為白鳥は最初から存在しない。, 普通電車が走るのは、(実史の)北海道新幹線新函館北斗開業の2016年3月から。但し、道南地区限定。(実史は、函館⇔新函館北斗間に733系電車による新幹線アクセス列車「はこだてライナー」が運行される。), 山線のほとんどが非電化のままなので、有珠山噴火の時に昼行特急の迂回運転ができなくなっていた。, 2017年3月のダイヤ改正で、スーパーおおぞらの半数は帯広乗り換えの別の特急に分割されていたかもしれない。, 785系電車と789系電車で運行されていたので、札幌~釧路間の所要時間が短縮されていた。, この区間は高崎支社の管轄なので、系統は分断されて高崎を中心とした運行体系になり、211系・115系・107系による運用になるのでは。, ただし朝夕の一部列車に限られ、大概は八王子~川越・八王子~高麗川・高崎~高麗川・高崎~川越のパターンになるだろう。, 埼玉県は奈良県、大阪府、神奈川県、東京都に引き続いて5つ目の全電化鉄道(沖縄県除いて)となっていた。, 青い森鉄道から八戸線に乗り入れる列車は、JR東日本のキハ40形気動車ではなく、青い森鉄道の701系電車。, 「東日本大震災」後は、(実史の仙石線みたいに)津波で変電施設がやられ、一部区間は気動車での運行となる。, (実史で運行されている)EV-E301系列車(電化区間はパンタグラフ・非電化区間はバッテリーで動く車両)は、開発されないか、別の非電化路線で運用。, 「ACCUM」という愛称が生まれないのでEV-E801系も「DENCHA」と呼ばれるようになる。, 1960年代に電化された場合,当初80系が使用された。日光線と共通運用。1976年に日光線共々,東北本線の115系運用に統合(80系撤退)。165系が間合いで線内運用に入った。民営化後も,上の107系と共に115系が(小山以南発着を除き)遅くまで使用。, E257系はこれに対応して、付属編成側は3~4両となり、クモハE257もクハE257-100と同様の前面形状になる。, もし昭和40年代に電化されていた場合、中央東線からは165系急行「アルプス」の付属編成が急行「八ヶ岳」として中込まで直通していた。また、信越本線からも169系急行「信州」の付属編成が急行「佐久」として中込まで直通していた。, 「小諸~佐久平(新幹線停車駅)」間に、新幹線連絡電車が運行される。もしかしたら、信越本線(現:しなの鉄道線)からの乗り入れて列車が運行されていたかも。, さすがに常陸大宮以北は415の4連では輸送力過剰になるので、701やE721の2連ワンマン車が投入されていたかも。, キハE130系は最初から久留里線用として設計される(上記久留里線の電化がなかった場合)。, 「3.11」後は、寝台特急「北斗星」などの迂回ルートになる。(実史では、「3.11」前は常磐線が迂回ルートになった事があった。), 迂回する意味がろくすっぽないと思うのだが。北斗星迂回の原因の多くは国見の風雪害では?, 上記の1982年以降電化の場合は,北上に止まる「やまびこ」の本数が少し多い。新幹線の「あおば」は「ひばり」を名乗る。特急「ひばり」は特急「はつかり」に統合(特急「はつかり」の上野発着が3年程存続)。, 当然、会津鉄道も全線直流化する為、会津若松駅~広田駅にデッドセクションが設置された。, ↑の通りなら、富山競輪開催日には高山本線から富山港線に乗り入れる臨時電車が運行されたかもしれない。, 北陸本線があいの里とやま鉄道移管後、富山駅に乗り入れる唯一の「JR線」電化路線に。, JR東海が交直両用車を持つため、「しらさぎ」もJR東海車とJR西日本車による共同運行となる可能性が。, 「北アルプス」への中部空港乗り入れと振り子車導入が実現していれば、列車廃止もなかった可能性がある。, 非電化区間は大糸線と同レベルの閑散路線に。最近までキハ120ではなくキハ52が走っていた。, 2000年代の水害の際に越美南線同様、不通区間は廃止が検討されていた可能性もある。, その結果JR西日本は「くろしお」の「オーシャンアロー」への置き換えが現実以上に進んでいる。, いや、それがあったらきっと座席指定制の夜行快速で名古屋まで「ながら」のダイヤで走り、列車名は「ムーンライトいせ」だろう。, まぁ確かに大糸線は糸魚川駅に到着するとき、直江津方面を向くからJR西にやらせるよりもJR東にやらせたほうがよかったかもしれない。, 国鉄民営化の時にそうしてほしかった。糸魚川にはレンガ車庫を犠牲にしてまで建てる新幹線駅ができる予定だから。, これによって直江津から糸魚川に会社境界が変更される。デットセクションも富山寄りに移設する。, 少しづつ電化するなら架線が南小谷から新潟県の県境近くにある平岩まで延長されてただろう。, この場合、デッドセクションは糸魚川駅西側に設置されて、糸魚川駅構内は直流になっていたのでは。, かつて、冬季のみ運行されていた臨時列車「シュプール号」が、大糸線に乗り入れなかった。, その代わり「スーパー雷鳥妙高(仮)」みたいな特急が大阪から直で白馬まで乗り入れてくる。, 国鉄時代から全線電化されていたら、特急「はくたか」や寝台特急「北陸」などはこちらを経由していたはず。, 後者は新宿発着の寝台特急となり、多摩~山梨~長野を走行する唯一の寝台特急となっていたのだろうか?, 大糸線は路線規格が低いので、信越線はともかく上越線経由には敵わなかったと思いますが…, 新宿松本が約4時間、糸魚川金沢が約1時間半であることを考えると高規格化できたとしてもそんなに時間短縮できたかどうか…。ちなみに信越本線経由の「白山」だと上野金沢が6時間。, 急行「しらゆき」は電車化され、457系の3電源対応機能が発揮できた唯一の列車となっていた。, 現実では天王寺―大阪―加茂間を運行している「大和路快速」は1時間に3本のうち1本が亀山、1本が柘植発着となる。, もし後述のように草津線が複線化されていたら、亀山発着は朝夕だけになって、日中は1本が柘植、1本が伊賀上野発着になっている可能性も。, むしろ名阪間は東海道線回りより距離は短くなるので、「大和路快速」が関西本線を全線走破し、JR難波~名古屋の運転となる。, JR西日本の221(あるいは223・225系)が名古屋駅に、JR東海の313系が天王寺・大阪駅に姿を見せていた。, 柘植-亀山は実質的に草津線の一部となっている。また、亀山新快速は貴生川まで快速運転している。, その結果木津―伊賀上野間が複線化されるが、特に地形の険しい加茂―月ヶ瀬口間は完全な新線に切り替えられる。, 紀勢本線(亀山~新宮)も電化されていた場合、新大阪・天王寺~亀山~新宮間に特急が運行されていた。, もし国鉄時代に関西本線が全線電化されていたら関西本線の亀山以西の列車には113系ではなく115系が投入されていた(塗装はライトグレーと朱帯の所謂「春日塗り」)。関西本線加茂以東は勾配が多いため。, 2018年現在でも「やくも」が381系のままである事を考えると、381系のままである可能性が高い。, 上りの三ノ宮・大阪の乗車需要は結構あった気がするので結局岡山経由になっていたのでは。, サンライズ出雲が京都周りの場合、広島あるいは下関発着の「サンライズあさかぜ」が運転されていた可能性もある。, 城崎温泉~鳥取間では223系5500番台の導入で余剰になった113系3800番台が導入されている。, 智頭急行は電化路線として開業している。もちろん因美線の智頭~鳥取間も智頭急行線開業と同時に電化。, 電化の段階で客車列車の運行は終了する一方、下手すると'90年代まで72・73系が運行されていたかもしれない。, 全線が電化された場合はこの路線を経由して広島と松江・出雲市を結ぶ特急が運転されている。, '70年代までに電化されていれば広島口の沿線の開発が早まり、幹線扱いになっていたかもしれない。, この場合、「つやま」の車両が117系とかになって結局遜色急行と呼ばれていたかも…。, 1987年に予讃線の高松周辺が電化されるまでは四国の国鉄線としては唯一の電化区間であった。, その場合、72系どころかもっと古い車両、下手すると国有化時に承継した車両が'80年代まで現役で運行されていた。, 国鉄時代の急行「阿波」「むろと」は153系→165系、特急「うずしお」は181系→183系で運用された。, 183系は投入されず(183系の純粋な新造車は関東にしか投入されなかった)181系が'90年ごろまで現役を続行。8000系で置き換えられる。, 普通列車はかつて72・111系、現在は113・121・6000・7000系が使われる。, 上手くいくと神戸~鳴門ルートに鉄道が通され、本州と四国を結ぶメインルートとなっていた。, '90年代初めまでに電化された場合、2000系気動車が開発されず、8000系が「南風」などに導入される。, 「県内のJRに電化路線がない」という都道府県がなくなるが、上記徳島周辺の電化がなかった場合「徳島県にはJR線の電化区間がない」と思い込まれる。, 琴平以南は地形が険しいことから、一部は長大トンネルを含む複線の新線に切り替えられていた。, 長与以東が閑散のままではなく、長崎市のベッドタウンになっただろう。そして817系で1時間2本程度。, 市街地ながら7km以上駅間のある岩松~諫早に交換駅。長崎~竹松の普通と長崎~佐世保の増発・増結。, 鹿児島本線の817ロング増備で混雑解消、玉突きの813をワンマン化して3両か6両運転。, 九州新幹線開業後も「有明」の熊本~光の森のスジが残り、阿蘇まで延長されていた。このため熊本~阿蘇間は1時間に1本ぐらい特急列車が運行されている。, 豊肥線経由で電車の回送が容易になるので鹿児島線八代~荒尾間の経営分離がしやすくなってしまった。, と思いきや、当時は人吉〜吉松間こそが電化計画の中心だったらしい。まあ、蒸気機関車の煤煙対策だと思うけど。, 九州新幹線部分開通後、肥薩おれんじ鉄道を経由する貨物列車がこちらに移り、肥薩おれんじ鉄道線は架線が撤去されていた。.

フランスはパリ-リヨン線を1946年に直流1500V電化を行って同国南部の路線にも拡大したが、2万5千V50Hz電化も検討し始め、1951年のエクスレバン-ラロシュ・シュル・フォロン間48マイル(78㎞)を試験的に電化し、水銀整流器と直流電動機の組み合わせた機関車が成功し、南部(その後もだいぶ直流1500V)より電化が遅れたフランス北部はこの方式で電化された[23]。世界的に交流電化が広がるきっかけになったのは、この単相商用交流饋電の成功からで、その後全域とまではいかなくとも新規幹線にこれを採用した国がコンゴ(1952)、ポルトガル(1955)、インド(1958)、イギリス(1959)、ソ連、ハンガリー、中国と次々に現れた(日本も1954年に試験・1957年に営業運転開始を行っている)[24]。, 国によって電化の時期や経緯が異なるので電圧や(交流の場合)周波数もバラバラであり、ヨーロッパを例にとると二次大戦前はフランス・オランダ・イギリス[注釈 16]は直流1500V、ドイツとスカンディナビア諸国は単相交流1万5千V16.67(16と2/3)Hz、イタリア(三相交流切り替え後)・ロシア・スペインは直流3000Vを使用し、いずれも専用の発電所から送電していることが多かったが、1970年代になると1920年代から研究されていた50Hzの単相交流という一般の商用周波数を用いた饋電が広がり、イギリス・フランス・トルコ・日本などで新たな電化路線に使用されたが古い方式を残す路線も多かったので場所によっては電気車は3種類または4種類の電力を使える必要が生じたものもあった[25]。, 電化区間自体も国策や資源(電力)事情、産業の動向などにより、各国での電化率には偏りが見られる。スイス、オランダといった国々が90%を越えるほか、ドイツやフランス、ロシアなどのヨーロッパ諸国や、中国、韓国、日本などの東アジア諸国は50%を越える。北米大陸やオセアニア、東南アジアなどは電化率が低い。 スイスなどでは比較的電化費用が安価で石炭算出が少なかったことから比較的早いうちに鉄道路線はほぼ全線が電化されている。アメリカやオーストラリアなどの大陸横断鉄道は電化されていない区間がほとんどであるが、ロシアを横断するシベリア鉄道は電化されている。, なお、都市鉄道や地下鉄では電化のデメリットである「高コスト」が輸送量増大が見込めることで打ち消せられるため、全線が電化されているのが原則である。, 後述の通り、日本国内で電化・非電化区間が混在する路線は運行系統が途切れて別々の路線として扱われることが多い。例外的に大井川鉄道井川線のように輸送量増大目的ではなく何らかの理由で電気運転をやむを得ず使用する路線では非電化側の列車が直通する場合もある。外国の例ではアメリカでペンシルバニア鉄道のワシントン‐ニューヨーク電化以前は、ニューヨーク手前まで来た蒸気機関車の列車がニューヨーク入口のボルティモア・ベルトラインのトンネル(ここのみ電化)だけ蒸気機関車ごと電気機関車が牽引していた事例がある[26][9]。, 一方、インドなどの国では、このような非電化混在路線においては機関車を交替することで、運行系統が分断されずに直通運転に対応することがある。[27][28][29], 電気軌道では、路面電車系統では1895年(明治28年)に京都市で京都電気鉄道が開通しているが、一般の鉄道では甲武鉄道(現在のJR中央本線)が1904年(明治37年)に飯田町 - 中野間を電化したのが始まりである。当時の電化には、600V(京都電気鉄道などのように500Vの所も一部存在)の直流饋電が採用されていた[1](というより用いないといけなかった[注釈 17])。甲武鉄道は1906年(明治39年)に国有化され国有鉄道初の電化区間となった。以降、大正期は山手線など東京都市圏での通勤電車の走行を目的に実施され、昭和初期には城東線(現在の大阪環状線)など大阪都市圏でも実施された。, 一方私鉄では蒸気機関車運行だった南海鉄道(後の南海電鉄)が1907(明治40)年から電化を始め、1911年(明治44年)には60㎞以上の区間の電化を完成させるなど国有鉄道より長大な電化区間が誕生し、この時期国有鉄道にもなかった総括制御付きのボギー車(電2形、1909年)や、貫通扉や便所のある電車(電3・電附1形、1911年)導入など、この当時は私鉄の方が電化に関しては先進的な面が強かった[30]。, もっとも国鉄側も手をこまねいていたわけではなく、1912(明治45)年に煤煙問題に悩まされていた碓氷峠を電化し、初の電気機関車の導入、1914(大正3)年には、京浜線(現在の京浜東北線)の電車運転開始に際し輸送量増加に伴う電圧降下防止に昇圧されることになり、当時の技術などを考慮した結果それまでの600Vから1200V(ちょうど2倍の電圧なので電動機の直列並列を切り替えれば従来の600V区間との直通もできた)が使用され、その後技術向上もあってさらに電圧をあげられるようになり、1922年(大正11年)に出された東海道本線の全線1500V電化の計画[注釈 18]に先立って試験を行い、その結果を私鉄にも公開した所、同年の大阪鉄道が私鉄で初めて1500V直流電源を採用(河内長野-布忍間)し、東海道線電化以後開業の私鉄は基本的に1500Vを採用するようになり、国鉄も京浜線・中央線・山手線を1931年(昭和6年)までに1500Vに昇圧した[31]。, 時系列的に少し戻るが、昇圧のきっかけとなった東海道本線電化計画は試験機関車が来る前[注釈 19]から丹那トンネルの開通まで見越して(実際の開通は1934年)東京から国府津まで1500V直流で電化(1925年)したが、その後は東海道線の電化は一時考えないで大阪付近の輸送量が多い地域の電化や清水トンネル・仙山線といった長大トンネル付近の電化を優先的に行い、手間取っていた丹那トンネルの工事完了後は再び東海道線電化も考えられたが戦争が起こり電化工事は戦後まで持ち越されている[32]。 関西本線(かんさいほんせん)は、愛知県 名古屋市 中村区の名古屋駅から亀山駅、奈良駅を経て大阪府 大阪市 浪速区のjr難波駅に至る鉄道路線(幹線)である。 名古屋駅 - 亀山駅間が東海旅客鉄道(jr東海)、亀山駅 - jr難波駅間が西日本旅客鉄道(jr西日本)の管轄となっている。 「関西本線」という路線名もここに由来している。 しかし止めに国に買い取られてしまった。元ライバルにかける金はないので放置。昭和40年代後半まで全線非電化、とこういうことらしい。「関西」と大仰な名前を名乗っているゆえん。 関西本線の複線化は沿線の自治体で度々議論の的となっている。しかし、実際にjr東海が線路を倍増させる具体的な計画はまったく出していない。 国鉄が民営化されてjr化された頃、関西本線の名古屋~亀山間の全線を複線化させる計画は確かに存在していた。

西日本JRバス | 中国JRバス | 偽モノ, https://wiki.chakuriki.net/index.php?title=関西本線&oldid=1591732, もはや「本線」とは名ばかりの路線。このルートで名古屋~大阪(JR難波)間を走破する列車は現在存在しない。, 1973年10月の湊町・奈良間電化がこの流れを決定的にしたと思う。このとき、名古屋・湊町間運転の「かすが」が消えた。, ただ、1982年1月の時刻表には百済(貨物駅)~熱田というほぼ全線走破の荷物列車が掲載されている。, 加太越えは25‰なので、ハードさは東海道線関ヶ原(新垂井経由開業前)と同レベル、そして近鉄大阪線よりは甘く見える(大阪線長谷寺辺りは33‰連続で、デ2200に電気ブレーキが付いた理由になっている)。, そもそも「関西鉄道」という私鉄だった。その頃は今のJRと近鉄どころではない血で血を洗う争いを繰り広げたらしい。, しかし止めに国に買い取られてしまった。元ライバルにかける金はないので放置。昭和40年代後半まで全線非電化、とこういうことらしい。「関西」と大仰な名前を名乗っているゆえん。, ハードと言うより、複線化や電化をせずに放置されていただけだと思われるが。東海道線の関ヶ原と関西線の加太、そして近鉄大阪線の長谷寺辺りはいずれも急勾配区間として認知されている。, それでも新幹線開業までは、混雑する東海道本線の補完として結構使われていた。1956年に、準急「かすが」が蒸気機関車から気動車になった時は、近鉄特急にも十分対抗できていた。しかし、東海道本線の電化完了、そして新幹線開業で完全にローカル線に転落。, 準急(1966年3月以降は急行)「かすが」は1956年に湊町~名古屋間を最速2時間47分、奈良~名古屋間を最速2時間7分で走破した。だが、新幹線開業後にスピードダウンされ、ついに当時の速さを上回ることはなかった。1956年の水準に戻ったのは何と1999年になってからで、それでもまだ1分遅かった。, 訂正。気動車化されたのは1955年で、1956年にさらにスピードアップされています。, 地方線と見做されしかも大正昭和期に大阪電気軌道・参宮急行電鉄(→近鉄)が出来ていたので地域輸送はそっちに任せていたというのが実情だろう。, なお名古屋側の電化は更に遅く、昭和57年に亀山まで漸く。このとき亀山~柘植を見送ったのが惜しまれる。, ここも電化していれば草津線から亀山直通が残っただろう。亀山への関西圏からのアクセスが不便とは言われず、シャープ亀山工場も縮小されなかった気がしてならない。加太越えという難所ゆえだろうが。, その後の展開は昭和30年代に羽倉崎まで複線電化となり、ヨンサントオ改正でやっと全線複線電化という流れだったかもしれない。, このパターンだったら関西本線同様、和歌山電化は昭和後期だったかもしれない…(代わりに阪堺が阪和とでも改名して和歌山まで伸びてた可能性が), 湊町から関西線経由で東京まで行く急行「大和」は43.10改正まで残っていた。中には和歌山線経由で和歌山市に発着する寝台車も連結されていたりした。, 電化しようにもトンネルが小さすぎて無理らしい。関西鉄道時代に第三軌条方式での電化が検討されていたくらいだから。, 戦前は宇高航路接続駅の宇野から山田(現:伊勢市)まで行くという長距離列車もあった。, 魂だけ近鉄に吸い取られ、脱け殻だけが残ったようにも見える。三重県・京都府辺りのそれは。, 近鉄という新幹線の並行在来線と考えるのが妥当かもしれない。起点と終点がほぼ同じ場所で、軌間も前者が標準軌、後者が狭軌だし。. なぜ、大糸線は、JR東日本区間( 松本~南小谷間 )は電化されていて、JR西日本区間( 南小谷~糸魚川間 )は電化されてない非電化なのでしょうか。, 世の中の成功している男性には様々な共通点がありますが、実はそんな夫を影で支える妻にも共通点があります。今回は、内助の功で夫を輝かせたいと願う3人の女性たちが集まり、その具体策についての座談会を開催しました。, なぜ特急さざなみは激減してしまったのか? アクアライン使うのって神奈川県民ぐらいでは?, 東京モノレールは何故、浜松町なの? 品川や、延伸して新橋までは駅を作れなかったのでしょうか?, 特急の車掌ってとりっぱぐれないようにうまくまわるんですね、特急券買わずに特急下車したらキセル?, 三重から青春18切符を使用して青森まで行く最短のルートを教えて下さい。 夏休みに子供たちと青春18切, 関西住です。東京の方に質問です。 大手私鉄、新宿駅、池袋駅、京成上野駅、浅草駅全部行き止まりですけど, JRの切符についていくつか質問です。 ①もし、本来買う切符より高い切符を買ってしまったり、安い切符を, なぜJR東日本は人身事故が発生したら全線運転見合わせするのですか?他の鉄道会社みたいに折り返し運転と, 東急東横線の十両化、東横線は、いつも混んでいる。急行、特急は、十両だが、各駅停車は、八両、各駅停車駅, 電車の運転士、電車の運転士さんは、原則制限無しで、電車の運転可能、深夜の回送の運転も、やり、仮眠時間, JR東日本がラッシュ時に運賃を高くするらしいですが 私鉄に流れる気がしますがどう思いますか?, 質問が消去されてしまいましたのでもう一度 高速の無料化は10年前にJR全社が反対したらしいですが、今, ※各種外部サービスのアカウントをお持ちの方はこちらから簡単に登録できます。 ドイツは戦争の痛手が大きく[注釈 15]東西分裂などの悪影響もあったが、それでも戦前通り単相交流1万5千V 16・2/3Hzによる電化を広げていった。 1912年(大正元年)12月28日県営鉄道として開業と、比較的古い路線でありながら、久留里線は国鉄路線となり、さらにはjr化後も非電化のままなのでしょうか?非電化のまま=需要が無いのですが、需要も無い割には3扉のキハ30・37・38を未 イギリスは自国内に大きな炭鉱があることもあって電化の経済的メリットが薄く、大都市周辺と南部に電化区間が集中し、全体ではしばらく蒸気機関車の時代が続いた後、1955年にディーゼル機関車による動力近代化計画を発表した。 分割民営化後も引き続き電化区間の延長が実施されているが、内燃動車の性能向上により必ずしも電化の必要はなくなっている。2018年現在、JRの在来線は北海道、東北、北陸、九州を中心に交流2万V(海峡線は交流2万5千V)饋電が行われているほかは直流1500V饋電、新幹線はすべて交流2万5千Vである[1]。, 輸送量の多い都市圏では電化の進捗率が高く、都府県単位では既に全ての旅客線が電化された地域もある。しかし、電化工事には変電所の増設や架線設備の設置をはじめ、歴史が古く建築限界が小さい区間ではトンネル改修を要するなど多額の費用がかかる。そのため国鉄では、大都市近郊や都市間路線でも非電化の路線が長らくそのままにされていた。特に並走する私鉄がある区間では近距離輸送でも積極的な競争を行わないため、比較すると旧態依然としていたほか、電化した路線でも特急列車以外は内燃動車を継続して用いる例が見られるなど、消極的な経営が批判されることもあった。もっとも、民営化と前後して大都市近郊の路線の電化も少し行われた。, 一方、閑散路線でも急勾配路線は高速化のため電化することがあった。しかし財政難などから北海道・四国の主要幹線や宗谷本線[注釈 28]・高山本線などでは国鉄時代に工事が中止された。その後気動車の性能が電車並に向上し、電化するよりも新製気動車を購入するほうが低廉となったため、これらの路線では非電化のまま路線の高速化工事を実施し、出力を強化した気動車を投入して近代化を進めている[注釈 29]。また、沿線の地方自治体が費用を負担した一部の路線で、簡易方式による電化が行われた[注釈 30]。, 旅客需要の差から、一部区間のみが電化された路線もある。このほとんどは運転系統が分断されるため、別路線のようになっている(交流・直流のデッドセクションを挟む場合も同様)が、大井川鐵道井川線のように一部の急勾配区間用に電化している場合は電化区間で補機がつくのみで非電化用の車両で全線を走破する運行をしているケースもある。, 電化・非電化が混在する路線の中には、可部線や札沼線のように電化区間を残して非電化区間のみが廃止された例もある。江差線も海峡線と一体化している電化区間を残して非電化区間のみが廃止された。, 以下に電化区間を記す。太字になっている駅は電化・非電化の境界となっているものである。なお、入出庫用に電化された区間は除く。, 電化は初期投資を要するが、輸送量の大きい路線では輸送単位あたりの維持費用は一般に低い。このため、一度電化が行われた路線の電化設備が撤去されることはまれである。, しかしながら内燃動力が一般的でなかった時代には、急勾配と長大トンネルにおける蒸気機関車の煤煙問題を解決するために行われた電化の場合、ディーゼル機関車と強力な換気装置が登場することで電化が必ずしも経済的に有利でないケースが生じてくる。アメリカのグレート・ノーザン鉄道(現・BNSF鉄道)が建設したカスケード山脈越えの路線(カスケードトンネル)は蒸気機関車時代に電化されていたが、このような理由からディーゼル化が行われている。, このほかには、アメリカなどのインターアーバンが貨物鉄道に転換された際、電車による頻発運転の旅客列車の消滅により電化が不要になり、電化設備が撤去された事例も多い。, また、上記の理由以外で設備が撤去された例としては、運用される電気機関車を含めた従来からの直流電化設備全般の老朽化による設備の更新を行わずに、高性能のディーゼル機関車へ置き換えるといったものが挙げられる。例えば、ブラジルのサンパウロ州には急こう配の区間と近郊鉄道が運行される区間を除いたほぼすべての電化区間の電気設備が撤去され、再び非電化となった路線が複数存在するほか、同様の例はチリのサンティアゴ - バルパライソの郊外の間や、コンセプシオン郊外 - テムコの間などにも存在する。, 緊急的な電化の解除(意図的に行ったもの)では1次大戦時のドイツで資源不足になり、電化鉄道の架線を撤去して銅を使用した結果、電気機関車が走れなくなったというケースもある[35]。, 日本での類似事例としては、以下の路線で経費節減のために電車・電気機関車を気動車に置き換えた事例がある。, 下記の路線は電化施設を撤去または使用中止し、電車・電気機関車の運行を中止した路線である。なお、こういった事例の路線のほとんどはもともと不採算路線だったため路線の大半が廃線されている。, 下記の路線は電化施設を存置しているが、経費節減の目的で気動車列車を運行する(または過去に運行していた)路線である。普通列車のみ全列車気動車で運行する路線については後述する。, 下記の路線は電化設備を有し、特急列車・貨物列車は電車・電気機関車牽引で運行するが、普通列車は全列車気動車で運行する(または過去に運行していた)路線である。大半が交流電化路線で、交流電車自体が最低でも2両は必要であるため、1両でも運転できるようにあえて気動車を導入しているところがある。, 直流675V第三軌条集電方式、2軸車2両の永久連結でギアではなくゴムバンパーで動力伝達。, 単相交流を車内で回転式相変換器により三相交流に変化させて三相交流用のモーターを回転させる方法。あまり使い勝手が良くなくその後世界の商用周波数単相交流利用には広まらず。, スイス・イタリアでこの種の車両が実用化したように全く使えないわけではないが、電動機の回転速度変動方法が極数切り替えや二次回路抵抗で運転速度が限られた事、起動トルクが小さく引き出しに牽引力が必要な機関車向けでないことなどが欠点だった。(, その後、イタリアでは三相交流用の電気機関車がいくつも生み出され、性能そのものは問題ないものの1920年代に「三相交流送電にはメリットはあるも技術的に伸びしろがない」と判断され、, プロイセンでは「低質で機関車には使えないが火力発電所なら使える」という石炭を使う火力電化も考えられていた。, なお、スイスの電化が盛んになったのは1次大戦の影響で、ドイツから石炭輸入ができなくなり、アメリカから買い付けしたり自国の山の薪で代用したりした結果、財政難覚悟で電化に踏み切った。, 原文「東海道線電化の一部として東京-国府津間の電化のために一括してイギリスに注文した機関車の品質が悪く、安全運転さえできなかった。(中略)多くの改造の結果使用に耐える状態になったが、電化論者の主張は完全に裏切られ、電化は高価であることを事実上に示した。これが国鉄の電化の実施を遅らせた大きな原因となった。」(, ミルウォーキー鉄道の710㎞電化区間の旅客列車は電化後の1921年時点でも1日につき片道2本ずつだけだった。(, スイスとイタリアは、両方とも石炭非産出国で輸入に頼らねばならなかったが、水力による発電量は相当得られる国であったため、二次大戦前は電気機関車(及びそのための電化)に関しては先頭を行っていた。なお、他の欧州諸国でも少しづつは電化は進んでおり、ドイツでは1930年代にあちこちで電化区間が生まれ、フランスではパリ-オルレアン鉄道(PO)が1926年に電化を始めた。(, 電気機関車の被害だけでも、1945年時点で動かせたものは戦前(880両)の1/4程度だった。(, 当時の「電気事業取締規則及び電気鉄道電機取締規則」で電気鉄道は直流電圧600V以下という制限があり、これ以上の高電圧が使えなかった。, 「東海道線全線を大正17年までに電化する」というような計画が出され閣議決定、東京-国府津の東海道本線と、国府津-熱海の熱海線がまず電化されることになっていた。(, なお、電気機関車無しでも電気動力運行を始めるつもりだった証拠として、すでに国産技術が確立した電車で100㎞近い長距離に対応できるようにした, なお、戦前日本で最長の距離を走る電車列車は1912年(昭和12年)より豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道をまたがって運行された, 『交通年鑑』昭和25年版161 - 163ページによると、昭和22年時点の石炭の質は戦争の影響がほぼない昭和11年と比較して熱量が「6450kcal/kgから5350kcal/kg」、完全燃焼前にボイラーから出て熱量の損失になる粉炭率が「37-38%から70%」に悪化。そしてここまで低質になったにもかかわらず価格はインフレもあり282倍に高騰した。, ドッジライン自体は昭和24年から開始だが上記のデータは電化工事完了日時なのでずれがある。(『交通年鑑』昭和27年度版、交通新聞社、p.350・351), なお、これにかかわった朝倉希一によると、この時には「蒸機・電機共に機関車を新造する」という前提で計算したため、厳密には現状の機関車を使用できる蒸気運転はもう少し低コストに見積もるべきで、1921年にミルウォーキー鉄道に調査に行った際「電化で不要になった蒸気機関車を全部下取りに出すから電気機関車購入のコスト(同鉄道では全電化費の半分)は実質半分ですむ」というそこまで中古の機関車が高く売れるのか怪しい情報を聞かされたのを思い出したほか、電化の進展が速くなると蒸気機関車の他地域の転用ができなくなるのでそこまで楽観視するべきかどうかと指摘した所、部外の委員がこの調査でよいと言われて承認することにしたという。(, なお、既存直流区間も「(地上設備を減らせる)3000Vに昇圧させるべきではないか」という案が1975年頃から出たが、わが国で多い電車方式では(イタリアに3000Vで電車使用例があるので不可能ではないものの)高電圧の絶縁が厳しくなること、改造する車両数と電力設備が莫大なことから見送られた。(, ただし、自社では営業をおこなっていないものの、城北線はJR東海が第一種鉄道事業者として施設を保有しており、子会社の, https://www.youtube.com/watch?v=NW7ytBwPOxE, https://www.youtube.com/watch?v=7Pbal1QO2to, https://www.youtube.com/watch?v=oYkugeI2zFI, (福原2007)p.48-49「1-7 ボギー車の連結運転と阪和間の運転(南海電1~3形)」, (福原2007)p.65-66「1-14 架線電圧の変異と黎明期の電灯電力供給事業」, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=鉄道の電化&oldid=80430113, 車両側で変圧するには向かないので、モーターの電圧に合わせることが求められるため、高電圧/小電流にはできず、低電圧/大電流では送電ロスが大きくなる, 高電圧/小電流にできるので送電ロスが少なく、大電力が供給でき変電所も少なくてすむ。, 直接饋電方式という単純な交流饋電では、電線からの電磁波によって周囲の通信線へ障害を及ぼす「通信, 車両に設置する機器のコストが高額となりやすい。すでに直流電化が普及した地域では、交直接続などの維持コストなども必要となり高額となる。そのため直流電化が普及した地域での部分的な交流電化は、全て直流化した時よりも総コストは大きくなる傾向にある。, 1897年:イタリアで蓄厚器・650V第三軌条・3000V15Hz三相交流という送電システムを比較し、3000V15Hz三相交流が安全性などから一番優れているとされた。後に1906年にシンプロントンネル(ブリーク-イゼル区間)でこの方式を採用, 1899年:スイスのブルグドルフ-トゥーン鉄道の山岳線で世界初の交流電化(三相750V)の営業が開始, 1915年:アメリカのシカゴ・ミルウォーキー鉄道において直流3000V電化が開始され、1927年までこの方式で区間を広げ当時世界一長大な電化区間となる, 1922年:イタリアが直流3000Vを標準方式に置き換え、三相交流方式の新規電化を停止(三相交流既存区間は続けて使用しており二次大戦後も残存), 1935年:ドイツ南部のヘレンタール線の一部でそれぞれ交流整流子電動機と水銀整流器+直流電動機を使った電気機関車を比較し、交流2万V50Hzの研究を開始、商用単相交流饋電方式の基盤構築。, 電力は備蓄できないので、多忙期と閑散期で輸送量が激しく変動する鉄道では電力消費量が大きく変わり、電力荷重として好ましくない。, 電気機関車の構造について信用が十分ではない。(朝倉自身、日本の例でイギリスから輸入した電気機関車の不具合が電化の遅れにつながったとしている, 都市近郊なら列車の加速度や列車単位増大による輸送量増加を見込めるが、長距離鉄道ではそこまで増発が見込めない。.