急行等ではあまり意味が無いですが、各駅停車に始発駅から乗るという方法があります。 GOTOキャンペーン対象で安くなると思うんですが、半日チケットは安くならないんですかね?.

世間のイメージとはそういうものなのでしょうか?.

身に覚えが無いのでその時は詐欺メールという考えがなく、そのURLを開いてしまいました。 結婚したことを後悔しています。私と結婚した理由を旦那に聞いてみました。そしたら旦那が「顔がタイプだった。スタイルもドンピシャだった。あと性格も好み。」との事です。

旦那が東大卒なのを隠してました。

ほとんど焼け石に水だと思います。

参考程度ということで聞いて下さい。

新線新宿駅・大江戸線新宿駅構内図です

7:30~8:00に調布を出る電車に乗りたいということだと思います。 都営新宿線と直通しているのは京王新線と京王新線新宿駅だけなのです。 乗る位置は、その中でも一番前か一番後ろがおすすめです。 京王多摩センター - 橋本.

子どもが中学生になって電車通学となりました。 朝のラッシュと言っても、時間を早めると、それに応じて混雑は緩和されます。 ただ、大江戸線を利用する場合、明大前で特急・準特急が先発なら、その電車で新宿に行き、新宿で乗り換えた方が早いと思います。 ですから京王線のカレンダーが京王新線新宿駅で売ってなかったとしても京王線新宿駅で売っていた筈だったのです。, 新宿~笹塚間は京王線と京王新線の複々線となっています。新宿駅には京王線新宿駅と京王新線新宿駅の2つあるのです。 京王線新宿駅と京王新線新宿駅は一体の駅で、改札内で両方のホームを行き来できます。改札は両方にたくさんありますが、区別はありませんので、お持ちの定期券でルミネ口や、京王百貨店口、京王西口など特急発着ホームと新線新宿ホームそれぞれ最寄の改札全てを通ることが可能です。 ...続きを読む, 京王線新宿駅で下車し、JR新宿中央東口へ行きたいのですが? 最後に、まあ、これはいわば裏技です。 車両に乗せたいと思っています。 いっそのことバスで吉祥寺に出てから、井の頭線で明大前に行くというルートもあります。

ディズニー初の悪対応です。昨日ランドに行ってきました。美女と野獣を目的としていたのですが、外れてしまったので、写真でも、と思い並んでやっとの思いで正面のフォトスポットへ。 品川駅~大崎駅=3分 質問者の方が調布でも京王線から北側、三鷹寄りにお住まいなら、 行く日は13日で、まだチケットは〇の表示でした。, ディズニーのファストパスが有料化になるとのことですが、いつから有料化になると思いますか?, ユニバーサルスタジオジャパンは今、ディズニーのように入場制限を行っているんですか?. 原宿駅~代々木駅=2分 今、考えているのは京王百貨店口にあるJR乗換連絡改札をSuikaで通過して、JR構内を通ってJR中央東口改札から出る方法です。出来るのでしょうか? 「新宿寄りは混んでいて、八王子寄りは比較的空いている」といった情報でも

となり、一周するのに64分程かかります。また電車によって所要時間は若干変わって来るので、これは参考ということにしておいて下さい。, 10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。, 「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

次は、始発駅の利用を考えること。 2時間並んででも乗る価値はある感じですか?

あるいは、そういった情報が分かるサイトなどあるのでしょうか。

東京駅~有楽町駅=2分 池袋駅~大塚駅=3分 ・丸の内線へ.... JR新宿駅の西口改札を出て右手方向に進んでいけば5分弱ほどで右手にみつかるはずです。, 今日、京王線のカレンダーを買うために都営新宿線の『新宿三丁目』駅から 京王線の 『代田橋』まで行きました。 ついでにいえば京王線新宿駅から京王新線新宿駅に徒歩で移動することもできます。笹塚で乗り換えなかった場合には、それが最後の手段となります。 笹塚に停車する急行・通勤快速・快速は、笹塚駅で本八幡行きに接続しています。 しかも京王線はその乗降客の7割が新宿駅利用という路線なので、

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。 改札を出ずに京王新線・大江戸線新宿駅へいけますよ。 私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。 大崎駅~五反田駅=2分

京王の構内図です

渋谷駅~原宿駅=3分 本八幡〔新宿線〕から京王多摩センターへの乗り換え案内です。電車のほかに新幹線、飛行機、バス、フェリーを使用するルートもご案内。ic運賃、定期券料金、時刻表、運行状況、駅周辺の地図も確認できます。航空券予約、新幹線チケット予約、始発・終電検索も可能 私は学生時代に航空研究所付近に住んでいて明大前に通ったことがありますが また、京王線を利用し、新線の改札へ出られる方法はありますか?, 明大前から都営新宿線直通(新鮮新宿経由)が少ないのは、笹塚始発本八幡方面行きが多いためです。 JR新宿駅東口→京王線新宿駅 OKWave

確かに最前や最後尾の車両であれば、中ほどの車両に比べれば多少は人が少ないかもしれませんが おすすめは6時台の電車に乗って、さっさと明大前に着いてしまうことです。 上野駅~御徒町駅=2分 新宿線と言うのは都営新宿線ですか?もしそうなら、京王線内で区間急行や快速になる橋本行きや多摩センター行きの電車に乗れば、京王よみうりランドまで乗換はありません。

駒込駅~田端駅=2分 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134, 銀行口座開設にあたって、窓口で手続きしたらどのくらいの時間で口座が作れるでしょうか? 代田橋駅は各駅停車しか止まりません。ごく僅かな例外を除いて上りは京王線新宿駅にしか行きません。では都営新宿線方面に行くにはどうするのか。笹塚で、都営新宿線直通本八...続きを読む, 新宿⇔明大前の間を、京王新線で通勤したいと考えています。大江戸線新宿駅乗換えの場合、京王線改札よりも新線のほうが近いため、新線の定期券を購入したいのですが、明大前から新宿への新線の本数が見た限り少なく感じました。 明大前ということは、日大鶴が丘あたりでしょうか・・。 相模原線(さがみはらせん)は、東京都調布市の調布駅から神奈川県相模原市緑区の橋本駅までを結ぶ、京王電鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はKO。, 京王線、井の頭線とともに京王電鉄の主要路線である。京王電鉄の路線では唯一、神奈川県内も沿線とする路線である。小田急多摩線とともに、若葉台駅 - 多摩境駅間に広がる多摩ニュータウンへのアクセスを担っているほか、京王線に直通して新宿と相模原市北部の拠点地域である橋本を結んでいる。, 調布駅を出るとすぐに左に急カーブを切り、南向きに変わる。品川通りを過ぎると地下から一気に高架に駆け上がり、京王多摩川駅となる。この先で多摩川を渡り、神奈川県川崎市多摩区に入る。JR南武線を跨ぐところに京王稲田堤駅がある。駅構内で大きく右カーブし、西に向きを変える。多摩丘陵の麓に沿うように進み、東京都稲城市に入って京王よみうりランド駅となる。, そのまま西進し多摩丘陵に差し掛かるところで稲城駅となり、駅構内で大きく左にカーブして南西に向きを変える。この先でJR武蔵野南線の高架をくぐり、丘陵に開かれた谷筋を進んでいく。すると右手には丘陵の上に林立する集合住宅群が見えるが、これは「多摩ニュータウン長峰杜の一番街」という団地で、最初に目にする多摩ニュータウンの住宅となる。その後、右手に多摩ニュータウンのなかでも特に新しい密集した民間マンション群が見えると、西に向きを変えて川崎市麻生区に入り、鶴川街道を跨ぐと2面4線の若葉台駅である。この先右手に若葉台工場や留置線が見える。上り勾配になり、左手から迫ってくる小田急多摩線と併走し、若葉台第1トンネルで東京都多摩市に入る。トンネルを抜けると、左手に多摩ニュータウンで最も古い「多摩ニュータウン諏訪団地」を見ながら再びトンネルに入る。この若葉台第2トンネルを抜けると、京王永山駅である。駅を出ると西南西に向きを変えて下り勾配となり、すぐに右手には京王が開発した「京王桜ケ丘住宅地」が見える。その後、上り勾配となって、2面4線の京王多摩センター駅となる。ここが多摩ニュータウンの中心駅である。, 北側の車窓から眺める田園風景と丘陵に林立する多摩ニュータウン長峰団地(稲城駅 - 若葉台駅間), 多摩ニュータウン若葉台地区を走る相模原線(若葉台駅 - 京王永山駅間)。手前は小田急多摩線。, 多摩市内では京王相模原線と小田急多摩線が並走する(京王永山駅 - 京王多摩センター駅間), 多摩都市モノレール線の高架をくぐり、小田急多摩線を左手に見送って、西北西に向きを変える。上り勾配になり多摩センター第1トンネルを抜けると東京都八王子市に入り、多摩センター第2トンネルを抜けると南西に向きを変えて京王堀之内駅となる。多摩ニュータウン通り沿いに発展した住宅街を右手に見ながら下り勾配、そして上り勾配となって南大沢駅となる。ここから掘割となり、京王電鉄の山岳トンネルとしては最長の南大沢トンネル (809m) を抜けると多摩境駅である。ここで多摩丘陵を抜け高架となり、境川を越えて相模原市緑区に入る。相模原市街地の中をそのまま高架で進み、右カーブしながら横浜線・相模線を跨いで橋本駅に到着する。, 相模原線は、京王電鉄の前身である京王電気軌道が1916年に開業させた調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間の多摩川支線(文献により多摩川原支線)に端を発する。当時、多摩川で採取された砂利を都心に運搬するための鉄道、いわゆる砂利鉄道が何本も敷設されており、多摩川支線もその一つとして開業した。1923年の関東大震災により東京の木造・レンガ建築が大被害を受け、その復興でコンクリート建築が急速に普及すると、原料である砂利は莫大な復興需要によりその産出量を急増させた。盗掘を含む余りの採掘は多摩川自体の環境悪化を招き、1934年に始まった採掘規制は第二次世界大戦後の戦災復興期による緩和を挟んだ後、1964年には同線周辺での砂利採取が全面禁止された[2]。, また、1927年に京王は多摩川原駅前に京王閣を開業し、当時では珍しい施設を備えた東京近郊屈指の遊園地として繁栄した。1933年から1936年までは多摩川河川敷で花火大会も始められた。戦時色が強くなると徐々に京王閣の客足は減り、食糧増産のために芋畑などにも利用されていた同施設は戦後の1947年、当時は京王も合併していた東京急行電鉄(大東急)により売却されたが、その敷地の一部には1949年に京王閣競輪場が開設された。1954年には「全国輸出振興煙火競技大会」(調布市花火大会の前身)として河川敷での花火大会が復活し[3]、京王も1955年に京王遊園を設置して遊園地事業を再開し[4]、1956年に植物園である「京王菖蒲園」、1961年にはこれを改称した「京王百花苑」[5]も開設して、多摩川支線は1駅間の短距離ながらも多様なレジャー輸送で重要な役割を果たしていた。, 1958年、相模原市が首都圏整備法で「開発区域」の指定を受けたことで、同市とその周辺は急速に工業地域、新興住宅地に変貌していった。そのなかで、当時の稲城町、多摩町、町田市、八王子市、相模原市、城山町、津久井町は、「京王帝都新路線建設促進実行委員会」を結成し、現在の相模原線の原型になるようなルートでの新線の建設を京王に強く働きかけた[6]。一方で京王でも、当時多摩町で開発を進めていた「京王桜ケ丘住宅地」をさらに南側に拡大する形で、新たな住宅地開発をするとともに、そこに新線を敷設する構想があった[7]。「第二桜ケ丘団地」と呼称されるこの住宅地開発の構想は、現在の多摩ニュータウン区域内にあたり、後述の理由により実現はしなかったものの、現在の多摩センター駅付近の「多摩ニュータウン多摩土地区画整理事業」が施行された場所で買収が進んでいたとされる[8]。, 1963年に京王は、多摩川支線を延長する免許を申請した。それは京王多摩川駅から多摩川を渡り、概ね現在の多摩ニュータウン区域を東西に横断して、橋本駅で横浜線と交差したのち、津久井湖の南側の相模中野に至るルートだった。この年には「多摩町で大規模な住宅団地」という見出しで、その後多摩ニュータウン計画に組み込まれて第一次入居が行われることになる諏訪団地・永山団地の開発計画が報道されていた[9]。他社も京王の免許申請に呼応して同様のルートで、小田急電鉄は喜多見駅から分岐、西武鉄道は多摩川線を延長する形で免許申請を行った。そして1965年、地方からの人口流入による東京の緊急的な住宅不足に対応するため、多摩ニュータウンが都市計画決定された。現在、多摩ニュータウンでは全面買収による新住宅市街地開発事業とともに、従来からの地権者が換地を受ける土地区画整理事業が行われているが、この時点では、全面的に新住宅市街地開発事業による開発だけが行われることになっていた。このため、先述した京王の新しい住宅地開発の構想はここで諦めざるを得ず、京王は高尾線の建設と「めじろ台住宅地」の開発を進めることになった[7]。, 京王と小田急が申請した免許は、現在の京王よみうりランド駅付近で両社の新線が入り混じるため、この区間の調整が問題になった。京王側が新線を北側に移すにも用地の問題があり、小田急側が南側に移すにも三沢川を避けねばならず、起伏が多くトンネルが増えるという問題があった。両社の調整が難航していたため、運輸省は両社が競合しない区間のみ免許を下し、京王は京王多摩川 - 京王稲田堤、小田急は喜多見 - 稲城本町について免許を受けることとなった。その後、小田急側が新百合ヶ丘駅を新設してそこから分岐する現在の形に計画を変更し、新たに百合ヶ丘 - 多摩の免許申請を行うと同時に、得た免許の営業廃止許可を申請することでこの問題は解決した。これにより小田急は新たに申請した免許を受け、京王も残りの区間について免許を受けた。西武については、多摩川線を延伸する計画が中央線に負担をかけるという理由で免許は下りなかった[10]。, その後、多摩ニュータウン計画が具体化してきたことから、多摩ニュータウン側と京王、小田急とで協議が行われた。多摩市内の区間について、ニュータウン側は京王と小田急の両社に、どちらか一方が谷戸部、もう一方が尾根幹線道路を通るように提案していたが、両社とも谷戸部を通るとして譲らなかった。このことからニュータウン側の担当者は、土地区画整理事業の減歩率を下げたいという思惑から、3本レールにしてレール幅の違う両社の車両が同じ線路を走ることを提案したが、小田急の担当者に「箱根鉄道みたいにチンタラ走るわけにはいかない」と笑われたという[8][11]。こうして多摩市内では現在の京王線と小田急線の線路が並ぶ形に決まった。また当時京王は、中央線との高速運転競争を繰り広げていたことに加え、新宿から河口湖までの「超特急」の構想を描いていたことから、相模原線はニュータウン区域内についても高規格な、カーブは最小曲率半径1000メートル以上を確保できるようにニュータウン側に要求した[12]。これにより理論上、相模原線内は160km/hで運転可能な線形となっている。同様に小田急側も在来区間よりも高規格な最小曲率半径800メートル以上を要求した[12]。協議では他にも、鉄道会社側とニュータウン側との費用負担についても話し合われたが、これがなかなかまとまらなかった。, 費用負担についてまとまらないまま、1968年に京王の新線建設が始まった[13]。1971年に京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間が開業し、合わせて線名も多摩川支線から現在の「相模原線」となったが、京王よみうりランド駅から先の建設は進まなかった。当時の新聞に掲載されたところによると、多摩ニュータウンからのラッシュ時の輸送には、調布 - 新宿間を複々線化する必要があり、相模原線の建設費用410億円にあわせ複々線化の費用が数百億円も掛かるとされ、京王は採算が取れないとしていたためであった[14]。また、多摩ニュータウン内では開発者以外の不動産事業が制限され、住宅の販売益で建設費用を賄うこともできないともしていた。小田急側も同じ言い分で多摩線の建設をストップしており、そんななかニュータウンの住民はバスで2km以上先の聖蹟桜ヶ丘駅に出るなどを余儀なくされていた[15]。京王は東京都に対し、(1)鉄道用地の無償提供 (2)高架、橋りょうなどの付帯工事費の補助 (3)在来線改良事業への補助 を要求したが、都は「民間企業である私鉄へ用地を無償提供する考えは無い」とした[14]。最終的には、日本鉄道建設公団が民鉄線を建設し、完成後に民鉄が25年で元利を償還する方策がとられた。いわゆるP線方式(鉄建公団方式)の始まりである。これにより両線の工事は再開され、まず小田急が1974年6月に小田急永山駅まで、続いて京王が同年10月に京王多摩センター駅まで開業し、小田急も翌1975年に小田急多摩センター駅に到達した。, 京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間が開業した1974年当時、京王は次の各駅の乗降人員数を以下のように予測していた。, つまり、予測を上回ったのは京王永山駅だけという状況で、社内ではこれが問題となり、多摩ニュータウン側には京王から苦情が申し入れられた。これには多摩ニュータウン開発の遅れが影響していて、当時入居が進んでいたのは、諏訪団地と永山団地だけといった状況であり、多摩ニュータウンの人口は3万人に過ぎなかった。, 多摩ニュータウン開発の遅れの原因としては、まず、第一次入居の直後に多摩市が、多摩ニュータウン側との小学校や中学校等の公共施設の費用負担の問題から、多摩ニュータウンの住宅建設の許可を出さず、住宅建設が中止されていたということがあった。結局これは東京都が事実上、学校の土地・建物の費用を多摩市に対して無償で負担するということで解決し、第二次入居にこぎつけることになった[16]。しかし、この最中にオイルショックが起き、開発の遅れのもう一つの原因となっただけでなく、多摩ニュータウン計画そのものを変えてしまった。, 1973年のオイルショックは日本経済を直撃し、高度成長期は終焉した。旺盛だった大都市への人口流入は沈静化し、それにより住宅需要も急速に冷え込んだ。第二次入居を始めた多摩ニュータウンでも、住宅不足を解決するための画一的な仕様・デザインの住宅は販売不振におちいり、入居がなかなか進まなかった。これをきっかけに多摩ニュータウンは、従来の「少しでも早く安く、計画的な良好な都市を大規模に提供する」という計画から、「時間をかけて理想的な都市を作る」という計画に転換し、多彩でデザイン性に優れた住宅が供給されていくことになった[17]。, また開業当時、京王永山駅および京王多摩センター駅では、当時の初乗り運賃である40円区間の乗車券の売れ行きが異常に多いと共に、その乗車券が回収されないという事態が発生した。これを不思議に思った電鉄側が車内検札を行ったところ、多くの利用客が新宿 - 聖蹟桜ヶ丘などの定期券を持っていた。相模原線が多摩ニュータウンへ乗り入れるまでは、多くの住民は聖蹟桜ヶ丘駅から京王線に乗っていたため、その定期券を悪用してキセルをしていたのであった。当時は自動改札機も導入されておらず、乗車券類は紙製のものであり、フェアスルーシステムもなかった。, 1980年代に入ると、多摩ニュータウンでは西部地区にも開発が進展し、多摩ニュータウンの人口は1980年に6万人だったものが、1987年には10万人に達した[18]。多摩センター駅周辺で開発が進むなか、西部地区でも開発が進んで1983年に八王子市南大沢で入居が始まった。西部地区での鉄道開通前には、住民の足として南大沢から多摩センター駅までのバス路線が暫定的に運行された[19]。, 延伸にあたっては、現在の京王多摩センター駅と京王堀之内駅の間にあるゴルフ場「府中カントリークラブ」[20]の敷地内を通過するため、問題が生じていた。工事着工にあたりクラブ側に補償金5億円を提示したが拒否され、10億8,800万円まで引き上げるほか、地下に長さ500メートルのトンネルを建設し、13・14番ホールの中間で地表に出る設計を提示して交渉にあたった。しかしクラブ側は、(1)13・14番ホールは地表に出る部分を隠すために土盛りや芝生植え替えなど大幅なコース改造が必要 (2)工事期間中、ビジター料金収入が大きく減少する として補償金のさらなる引き上げを求めた。ルート変更も困難であったことから、京王と鉄建公団は強制収用の準備にかかったが、最終的には、トンネル出口部分を短縮し、コースレイアウトの変更を行う[21]ことでクラブ側とは同意に至り、補償金10億8800万円で和解し[22]、1986年10月1日に「多摩センター第一トンネル」として着工、翌1987年に完成した[20]。, この問題の解決により延伸計画は前進し、1987年3月に橋本駅まで一気に開業する予定で計画が進められたが、今度は橋本駅付近で土地取得が難航した。橋本駅の終端部分と入口部分の地権者が買収を頑なに拒んでいたのである。一方で入居が進む多摩ニュータウン西部地区ではその足の確保が急務となっていたことから、1988年5月21日に京王多摩センター駅 - 南大沢駅間が開業した。これにより、南大沢から多摩センター駅への暫定的なバス路線の運行は終了した[23]。, 橋本駅周辺の土地取得の問題は土地収用法の適用をもって解決し、1990年3月30日に南大沢駅 - 橋本駅間が開業し、相模原線は全通した。1968年の工事着工から22年目のことだった。翌年には快速列車が橋本駅から都営新宿線の本八幡駅までの直通運転を始め、神奈川県北部から千葉県を結ぶ東西の大動脈となった。これにより都心への玄関口となった橋本駅の乗降人員は、1990年から1997年にかけて2倍に増えた。[23], 橋本駅まで開通した翌年の1991年4月6日には、多摩境駅が開業した。多摩境駅の設置にあたっては、地元からの「請願駅」という扱いで京王の負担を極力抑えている[24]。多摩境駅の周辺は「多摩ニュータウン相原・小山土地区画整理事業」が施行されているが、京王と小田急は施行区域内を先行買収しており、多くの土地を所有していた[25]。この地域では開発より前から土地を売りたいとする地権者が多く、多摩ニュータウン側から土地を買うように要請を受けてのことだった[26]。, なお、多摩境駅の開業が全線開業より後になったのは理由があった。ニュータウン新線において建設費などに補助金が出るのはニュータウンの範囲内だけでなく、ニュータウンの範囲外でもニュータウン居住者が利用する場合において、ニュータウンの範囲の次の駅までが補助金の対象になる取り決めになっている。多摩境駅は多摩ニュータウン区域内にあるものの、当初は事業認可未了となっている区域であったため、この取り決めにおけるニュータウンの範囲として扱うのは難しかった。つまり、そのまま橋本駅と多摩境駅を同時に建設すると、多摩境駅がニュータウンの範囲の次の駅として扱われてしまうことから、橋本駅までの補助金が出ないことになってしまうのである。そのため、ニュータウンの範囲の次の駅を終点の橋本駅にして、橋本駅までの建設に補助金を当てようとしたためであった(同じような事例が過去にも北大阪急行緑地公園駅にあった)。, 橋本より先の橋本 - 相模中野間については、用地の取得が難しいことや用地費、工事費の高騰などにより、京王単独での建設が非常に困難であるとして、1988年3月に京王は免許を返上した[23]。したがって、津久井湖までの延伸はかなわず、相模原線は多摩ニュータウン住民や相模原市民の足として定着することになった。多摩境駅の開業をもって、若葉台駅から多摩境駅にかけての多摩ニュータウン内の全駅開業となり、1991年の多摩境駅開業時に15万人だった多摩ニュータウンの人口は、13年後の2004年に20万人を突破した[18]。, 都営地下鉄新宿線 - 京王線 - 相模原線(本八幡駅 - 橋本駅間)は、都市交通審議会答申第10号で「10号線」として位置付けられていることもあり、1980年3月から相互直通運転を実施している。当初、京王電鉄の車両が主に快速として都営新宿線岩本町駅 - 相模原線京王多摩センター駅間、都営地下鉄の車両が都営新宿線 - 京王線笹塚駅間で運行されていたが、順次その範囲は拡大され、現在は京王・都営地下鉄の車両とも全区間を運行している。, 1992年5月には京王線新宿駅 - 橋本駅間の特急が設定された[29]が、相模原線内での停車駅が調布駅・京王多摩センター駅・橋本駅と少なく、調布駅での各駅停車への接続廃止後は相模原線の特急通過駅では使いにくい上、新宿駅 - 調布駅間では急行の後追い運転であり京王線系統の特急よりも所要時間がかかることもあって、2001年3月のダイヤ改定で一度廃止され、代わりに急行が設定された。急行は、特急の相模原線内の停車駅に京王稲田堤駅・京王永山駅・南大沢駅を追加し、都営新宿線の急行と結んで本八幡駅 - 橋本駅(一部を除く)間の運転とした。これにより京王稲田堤駅・京王永山駅・南大沢駅を通過する営業列車は消滅した。またこのダイヤ改正から急行・快速は、調布駅で京王線系統の特急・準特急と接続し、乗り換えた場合は明大前駅・新宿駅との所要時間が短縮された。2013年2月22日のダイヤ改定より特急が復活し[30]、相模原線内の停車駅が急行と同じになった。, 2015年9月25日より京王線新宿駅 - 橋本駅間の準特急が設定された[31]。それに伴い、新宿線新線新宿駅 - 本八幡駅間で急行となる営業列車は相模原線はおろか京王線 (笹塚駅 - 北野駅 - 京王八王子駅間)・競馬場線・動物園線・高尾線から姿を消した。, 2018年2月22日より京王線新宿駅 - 橋本駅間の下り方向に、初の座席指定列車である京王ライナーが設定された[32]。, かつては列車の車両数を調節するため、朝のラッシュ後と夕方のラッシュ前の時間帯を中心に若葉台駅で車両交換を行う列車があったが、2006年9月以降は若葉台駅を行き先として表示するようになったため、このような車両交換はなくなった(車両故障時などは除く)。車両交換の案内は、相模原線内での車内放送のほか電光行先案内板の備考(2005年3月25日時点では電光行先案内板のあった京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅・橋本駅のみ)に表示されていた。, 京王線新宿駅 - 橋本駅間で運行される座席指定列車。2018年2月22日実施のダイヤ改正から下り方向のみで運転を開始し[32]、2019年2月22日実施のダイヤ改正からは上り列車京王線新宿行きの運行も開始された。途中停車駅は、京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、相模原線内の京王永山駅以西は特急・準特急・急行と同じ停車駅となるが、京王線新宿駅 - 京王永山駅間は全て通過する。車両は全て京王電鉄5000系のみで運転されている。橋本発新宿行きは、平日朝5時 - 8時台に4本が、土休日朝7時台に1本がそれぞれ運転される。新宿発橋本行きは、平日は16時40分発から17時40分発・20時20分発から23時20分発まで、土曜・休日は16時20分発から23時00分発まで約1時間間隔の運転となる。, 乗車には座席指定券410円が必要となるが、下り列車については京王永山駅以遠の停車駅から乗車する場合は座席指定券無しでそのまま乗車できる。, 2013年2月22日のダイヤ改定から京王線新宿駅 - 橋本駅間で運転を復活した種別で[30]、相模原線特急としては実質2代目である。2001年の初代特急廃止後、神奈川県鉄道輸送力増強促進会議は相模原線の特急の復活を要求しており[33]、2013年に12年ぶりに復活することになったものである[30]。, 途中停車駅は、明大前駅・調布駅・京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、相模原線内は準特急・急行と同じ停車駅となる。京王電鉄の車両のみで運転されている。平日朝を中心に京王線新宿駅 - 橋本駅間の運転が基本だが、平日朝には京王多摩センター発京王線新宿行も設定されている。土休日は新宿発(京王多摩センター駅から各停)・橋本発が各1本設定されている。2020年10月30日のダイヤ修正で平日は新宿発が朝2本(京王多摩センター行・橋本行の各1本)に削減され、夕方での設定も無くなった。, 2019年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停へ変更する列車が設定された。(対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う。), 2015年9月25日ダイヤ改正で新設された[31]。途中停車駅は、笹塚駅・明大前駅・千歳烏山駅・調布駅・京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、特急停車駅に笹塚駅と千歳烏山駅を追加したものである。京王線新宿駅 - 橋本駅間の運転が基本だが、平日朝に京王線新宿発京王多摩センター行も設定されている。, 2018年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停へ変更する列車が設定された[32](対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う)。, 平日は朝と夕方のみの運転で、都営新宿線 - 橋本駅間と京王線新宿駅 - 橋本駅間の2区間で設定されている。その他にも都営新宿線 - 京王多摩センター駅間や、京王線新宿発京王多摩センター行も設定されている。2015年9月25日のダイヤ改正より、日中は代わりに準特急が運転されている。土休日は夕方に上り1本のみ橋本発本八幡行が設定されており、京王相模原線 - 京王線 - 京王新線 - 都営新宿線の全区間を急行として運転する唯一の列車である。, 2013年2月21日のダイヤ改定前は、かつて相模原線急行の多くが20分間隔で、京王線・京王新線経由で都営新宿線本八幡駅(土曜・休日ダイヤの一部は大島駅)まで直通運行されていた。朝のラッシュ時と平日夕方の京王線新宿 - 橋本駅間の列車は主に10両編成。都営新宿線直通も2006年9月のダイヤ改定後は、朝の一部列車に都営車8両が使用される以外は10両編成で運行。京王閣競輪開催時には、京王多摩川駅に臨時停車していた。また、平日の朝ラッシュ時および夕方には、京王線内のみ急行で都営新宿線内は各駅停車として運行、平日の夕方以降には調布駅 - 橋本駅間は急行、京王線・都営新宿線の本八幡駅 - 調布駅間は快速として運転される列車もあった。また、朝と夕方から夜間には、京王線新宿駅発着の急行も運行されていた。, 都営新宿線内各駅停車の急行の場合、上り列車の行先・種別表示は京王線内では「急行 新線新宿」(都営10-000形は「急行 新宿」)と表示、下り列車は都営新宿線内では「各停 橋本」(10-000形では種別表示はない)、駅の発車案内板には「普通 橋本」と表示される。かつて6000系では誤乗防止の観点から京王新線・都営新宿線方面行は、緑地の方向幕で表示されていた。そのため7000系の方向幕車では緑地で表示される(7721-7725FではそれらがすべてLED式に更新されている)。, 2018年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停に変更する列車が設定された[32](対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う)。, 2013年2月22日のダイヤ改定で、通勤快速から改称された。都営新宿線直通列車と京王線新宿駅発着列車があり、前者は平日の日中と土曜・休日のほぼ終日にわたり20分間隔で運転、後者は平日の朝と深夜の下り・土休日の朝と夕方のみ運転される。上りは橋本発のほかに京王多摩センター発・深夜の桜上水行があり、下りは橋本行と若葉台行がある。現在のダイヤでは、都営新宿線 - 橋本駅間の設定のほかに、京王線新宿駅 - 橋本駅間、京王線新宿発京王多摩センター行、橋本・若葉台発桜上水行も設定されている。京王線新宿発着・都営新宿線直通ともに多くの列車が10両編成で運行されるが、一部の都営新宿線直通は、都営地下鉄の車両による8両編成で運行される。日中は調布駅で府中方面の準特急と連絡し、京王多摩センター駅で橋本駅発着の準特急の接続待ちを行う。2020年2月22日のダイヤ改正で平日日中の準特急の一部が京王多摩センター駅 - 橋本駅間で各駅停車となったため、京王多摩センター駅で折り返す列車も設定されている。, なお、2015年9月25日のダイヤ改正までの都営新宿線直通列車の多くは、都営線内を急行運転していた。その際、相模原線を含む京王線内では、京王車は『区急|新線新宿』→『新線新宿から急行本八幡行(もしくは急行大島行)』→『都営新宿線直通』といった形で切り替えて表示している。都営車では切り替え表示機能が無いため、『区急(区間急行)|(新線)新宿』と固定表示される。いずれも新線新宿駅到着時に『急行|本八幡』と表示を変更する。, 2018年現在では快速と同じく都営新宿線内各駅停車で運転されている。この場合、例えば本八幡行では京王線内で『区急(快速)|本八幡』と表示し、新線新宿駅到着時には『各停|本八幡』に変更される。, 京王多摩川 - 京王よみうりランド駅間開業前の多摩川支線時代より運行されていたが、相模原線内は各駅に停車していた。1974年10月18日の京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間の開業時から1992年5月28日の初代特急運転開始時までは相模原線内でも快速運転をしていた(設定当時の停車駅は調布駅・京王多摩川駅・京王稲田堤駅・京王よみうりランド駅・京王永山駅・京王多摩センター駅)。1988年5月21日の京王多摩センター駅 - 南大沢駅間開業時は、快速は京王多摩センター駅発着、通勤快速は南大沢駅発着で、1990年3月30日に運転区間が橋本駅まで延長された後、1991年4月6日から南大沢駅が停車駅に加わった。特急の運転開始後は、現行の相模原線内各駅停車に改められている。, 2013年2月21日までの日中・深夜と土曜・休日の深夜は京王線新宿駅発着で運行され、土曜・休日の朝と夕方以降は都営新宿線に直通し、大島駅・本八幡駅発着で運転されていた。このほか、平日の夕方以降には相模原線内急行・京王線内快速という列車もあった。基本は橋本駅発着だが、一部に若葉台駅・京王多摩センター駅発着もあり、一部の若葉台駅発着を除いて、橋本駅発着の各停との接続が行われていた。また2012年8月19日の調布駅地下化によるダイヤ改定により、早朝時間帯に若葉台発快速つつじヶ丘行が登場した。調布駅での折り返しができなくなったことに伴い、この列車は折り返し設備のあるつつじヶ丘駅まで営業運転して、到着後はそのまま調布方面へ回送として折り返す。また、終点のつつじヶ丘駅では後続の新宿行の快速・通勤快速に接続していた。, 2013年2月22日のダイヤ改定では、主に調布駅で、橋本駅発着の特急と接続する京王線新宿駅発着列車が中心となり、都営新宿線直通列車は大幅に本数が減らされた。早朝と夜間以降には、下りの京王多摩センター行、上りの桜上水行・つつじヶ丘行もあった。, 2015年9月25日改正の現行ダイヤでは、都営新宿線 - 橋本駅間が設定されているが、土休日のみ京王線新宿発橋本行も設定されている。また、都営新宿線 - 若葉台・京王多摩センター駅間、橋本発つつじヶ丘行も設定されている。京王線新宿発着・都営新宿線直通ともに多くの列車が10両編成で運行されるが、一部の都営新宿線直通は、都営地下鉄の車両による8両編成で運行される。日中は調布駅で府中方面の特急と連絡する。相模原線内は準特急に抜かれることなく先着する。, 2013年2月22日のダイヤ改定により、平日は朝夕のみ、土曜・休日は早朝と深夜のみ運転となった。それ以外の時間帯は、相模原線内各駅停車の区間急行・快速が運転され、各駅停車を補完している。2015年9月25日改正の現行ダイヤでは新宿駅 - 橋本駅間の列車が主に設定されているが、その他にも若葉台駅・京王多摩センター駅発着も設定されている。また、都営新宿線発橋本行や橋本始発の本八幡行きも設定されている。, 2013年2月21日以前は終日設定があり、朝ラッシュ時を中心に新宿方面へ直通する列車も設定された一方、日中以降は大部分が相模原線内の区間で折り返し運転を行なっていた。相模原線内のみの列車は、調布駅で上りは京王八王子方面からの、下りは京王八王子方面行の各駅停車と接続を取っていた。, また、2006年9月のダイヤ改定までは日中を中心に6両編成での運転があったが、この改定以降、日中は都営新宿線直通列車に10両編成の京王電鉄の車両が重用されたことによる距離調整のため、都営地下鉄の車両による8両編成での運転となり、6両編成での運転がなくなった。このため、主に相模原線内列車のみの運用に使われていた6000系5扉車の6721Fは運用を離脱した。2010年3月19日のダイヤ修正では日中の列車はすべて10両編成化され、都営地下鉄の車両を含む8両編成は夕方以降に見られるようになった。, 相模原線内運転の列車は、調布駅付近の地下化以前は、調布駅にて本線上を利用して折り返しが行われていた。2012年8月19日の調布駅付近地下化以降はつつじヶ丘駅まで一度回送して、つつじヶ丘駅構内で折り返していた。, 2018年2月22日ダイヤ改正より、一部の準特急及び急行は京王多摩センター駅で種別を各駅停車に変更する列車が設定された[32]。2019年2月22日ダイヤ改正より、一部の特急にも京王多摩センター駅で種別を各駅停車に変更する列車が設定された。, 2020年2月22日現在のダイヤで日中1時間あたりの運行本数は、以下のようになっている。, 1992年5月28日[29] - 2001年3月26日の間に運転されていた。当時はほとんどの列車が京王線内では急行を追尾するダイヤとなっていたため、京王線新宿駅 - 調布駅間の所要時間は急行と大差なかったが、京王多摩センター駅で先行する快速を追い抜いて、(設定当初の下りのみ調布駅でも後続の各停に接続)通過する各駅へのフォローも行い、相模原線の主力種別であった。相模原線内では京王多摩センター駅以外の途中駅は、すべて通過となっていた。, 1992年以前にも京王多摩川駅を最寄りとする京王閣競輪開催時には、レース終了後に京王多摩川発京王線新宿行の特急が運転されていた(車両は、1984年以前は京王よみうりランド駅折り返し、京王よみうりランド駅 - 京王多摩川駅間は回送運転、1984年以降は若葉台駅出庫で京王多摩川駅までは回送運転とされていた)。なお、1992年5月以降は競輪終了時に上り特急の一部列車を京王多摩川駅に臨時停車させることで、利用客への便宜を図っていた。この臨時停車は現在の特急にも引き継がれている。, 2013年2月22日ダイヤ改定まで運転されていた種別。平日朝ラッシュ時および深夜時間帯下りのみ運転となっていた。都営新宿線直通列車と京王線新宿駅発着列車がある。上りには橋本発のほかに京王多摩センター始発があり、下りは橋本行き、京王多摩センター行き、若葉台行きがあった。多くは10両編成だが、平日朝の都営新宿線直通には都営車8両編成も使用されていた。同ダイヤ改定で区間急行に改称されて消滅した。, 平日朝7:30 - 9:30に新宿駅または新線新宿駅に到着する上り急行・区間急行および都営新宿線直通電車の進行方向先頭(本八幡寄り)車両が女性専用車になる。実施区間は新宿線本八幡方向を含めた全区間で、この時間に運転される急行・区間急行および都営新宿線直通はいずれも京王車の10両編成で運行されるが、運用の乱れによって8両編成が充当される場合は設定されない。, 稲城駅 - 若葉台駅間の中間地点付近に、沿線の稲城市坂浜・平尾地区の土地区画整備の一環として坂浜新駅(仮称)を設置する構想があるが採算性が見込めず実現には至っていない[34]。, 稲城市では、稲城駅に急行を停車させる政策を掲げ、京王電鉄に働きかけを行っている[35]。, 相模原線では新路線として開設するための建設費の償還を目的とした加算運賃が設定されており、2019年10月1日現在は京王多摩川・京王稲田堤 - 橋本間を通して利用する場合(他の区間に跨る場合を含む)に20円が加算される[36]。, 2018年3月16日までは利用する距離に応じて運賃に10円から80円が加算されていたが、翌3月17日に10円または20円引き下げられ[37][38]、2019年10月1日にさらに加算運賃の引下げが実施され、現在の体系となった[39][36][40]。, 加算運賃引下げは建設費の回収が進んだためで、今後加算運賃が廃止される見通しである[41]。, なお、調布 - 京王多摩川間は既設区間のため同区間のみを利用する場合は加算運賃は設定されていない。, 京王多摩川 - 橋本間は、完成したのが1970年代以降と比較的新しく、カーブが少なく高速で安定した走行が可能であり、調布駅周辺の地下化工事が完了した後は全線に渡って踏切がなく、重大事故も起こりにくくなっている。また、京王の他の路線と比べて駅が広く、エレベーターなどのバリアフリー設備も充実している。[独自研究?