ベートーヴェンが作曲したチェロソナタは全5曲、20代半ばの第1番・第2番(作品5)、30代後半の第3番(作品69)、40代半ばの第4番・第5番(作品102)がある。. 新約聖書 ヤコブの手紙 5章を口語訳聖書で開くと「富んでいる人たちよ。よく聞きなさい。あなたがたは、自分の身に降りかかろうとしているわざわいを思って、泣き叫ぶがよい。」などの御言葉に出会え …

新約聖書 ヤコブの手紙 5章を口語訳聖書で開くと「富んでいる人たちよ。よく聞きなさい。あなたがたは、自分の身に降りかかろうとしているわざわいを思って、泣き叫ぶがよい。」などの御言葉に出会え … 聖書は著作権の関係で、英語訳は、アメリカ標準訳 American Standard Version(ASV)(1901年版)です。 日本語口語訳は、新約聖書は1954年版(日本聖書協会発行の新約初版)、 旧約聖書は1955年版です。 そのため両者で差異がありますが、また古語ですので、 ベートーヴェンが作曲したチェロソナタは全5曲、20代半ばの第1番・第2番(作品5)、30代後半の第3番(作品69)、40代半ばの第4番・第5番(作品102)がある。, J.S.バッハ『無伴奏チェロ組曲』を「チェロの旧約聖書」とすれば、ベートーヴェンのチェロソナタ集はその重要性から「チェロの新約聖書」と称賛される。, ベートーヴェン中期の「傑作の森」と呼ばれた時期に作曲された「チェロソナタ第3番 イ長調」は特に有名で、音楽史的に初めてチェロがピアノと対等な役割を与えられた重要な作品として高く評価されている。, ベートーヴェンが半年をかけてウィーンからボヘミア地方とプロイセンに旅行した1796年半ばに第1番・第2番共に作曲された(作品5)。初演はフランスのチェロ奏者デュポール兄弟とベートーヴェン自身のピアノで行なわれた。, 第1楽章 序奏:アダージョ・ソステヌート・エト・エスプレッシーヴォ/主部:アレグロ・モルト・ピウ・トスト・プレスト, 交響曲第5番「運命」、第6番「田園」などの他の傑作と同時期の1808年に作曲された『チェロソナタ第3番 イ長調』作品69。当初は「ピアノとヴァイオリンのための大ソナタ」として構想されていたという。, 以前のチェロとピアノのためのソナタは、実質的には「チェロ伴奏付きのピアノソナタ」であったが、この『チェロソナタ第3番 イ長調』により、歴史的に初めてチェロはピアノと対等な役割を与えられたと評価されている。, 『チェロソナタ第3番 イ長調』から7年後の1815年の春から夏にかけて第4番・第5番が続けて作曲された(作品102)。5曲のチェロソナタの中で第4番は最も短く、単一楽章とも評価される。第5番ではJ.S.バッハのフーガ技法が取り入れられている。. ¡ã‚Š, ユーチューブ(YouTube)話題の動画, 同志社大学「建学の精神とキリスト教」,     BARTOLOMEUS   ANDREAS     PETRUS                 THOMAS   PHILIPPUS  

イエス・キリストの弟子たちによって著された『新約聖書』は、1世紀当時の地中海世界の共通語であった口語的なギリシャ語で書かれました。 2,3世紀になると、教会ではラテン語が用いられるようになり、5世紀初頭にはラテン語に完訳されました。14世紀に初めて英訳され、マルティン・ルタ… 新約聖書のあらすじ・登場人物・内容・そして宗教上の意味について20分でご紹介します。旧約聖書で到来が預言されている救世主の意味から、イエスの誕生、磔刑、復活の意味も徹底解説!ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の成立と違いも解説します! 新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5章を口語訳聖書で開くと「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」などの御言葉に出会えます。

created by Rinker. 当サイトに掲載されている情報の無断転載を禁止します。. 私が読みやすいと考えている新約聖書はこちら。 小型新約聖書 詩編つき – 新共同訳. なぜイエスは神ではないの? ムハンマドは最後の預言者なの?[60分でクルアーン4], クルアーンの重要な登場人物(旧約、新約聖書)をざっくり紹介![60分でクルアーン12], イスラム教徒はなぜ豚肉と酒が禁止なの? なぜラマダン(断食)をするの?[60分でクルアーン5], 【90分で古事記⑥】大国主の出雲神話 因幡の白兎と根之型州国のあらすじ内容を解説!, なお、「あらすじ」から読んでも大丈夫ですので、お急ぎの方は目次で「あらすじ」まで飛んでいってください。, 「新約聖書」のあらすじと内容を見る前に、登場人物を簡単にご紹介します。こちらも飛ばしてもらって構いません。参考程度にどうぞ。, 新約聖書の目次はこのようになっています。「手紙」が大半を占めているのが分かりますか?でも実際の「手紙」のボリュームは新約聖書480ページのうち、180ページほど。, ※福音(ふくいん)とは良い知らせの意味。イエスの生涯を4人の視点から語ったものであり、内容はほとんどが重複しています。新約聖書の中心的な位置づけになります。, 30歳を超えたイエスは、ヨルダン川において洗礼者ヨハネ(使徒ヨハネとは別の人物)から, 高い熱にうなされる女性の枕元に立ち、熱を叱りつけると、熱は去り彼女は立ち上がった。, 重い皮膚病にかかった人に、イエスが触れ「 よろしい。清くなれ」というとたちまち皮膚病が去った。, 弟子たちとともに湖を船で渡る際、湖に激しい嵐が起きます。イエスは風と湖を叱ると、すっかり静かになった。, イエスが2人の盲人の目に触り「あなた方の信じているとおりになるように」と言われると、2人は目が見えるようになった。, イエスが、耳が聞こえず下の回らない人の両耳に指を差し入れ、唾をつけてその人の舌に触れ、「開け」というと、たちまち耳が開け、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。, イエスは弟子たちを引き連れ、3年ほどイスラエル各地を回り、説教と救済の旅を続けました。, 権力者たちのイエスに対する包囲網が強まるなか、イエスは覚悟を持ってユダヤ教の本拠地エルサレムに入ります。, その晩、イエスのもとに祭祀長や長老たちとともに、大勢の群衆が武器を持って訪れてきた。, イエスを信じるものであれば、異教のものであっても洗礼を受け、罪の許しを受けることができる。, 十二使徒の中で唯一生き残った、使徒ヨハネが、迫害を受けパトモス島に島送りにされている最中(最晩年)に書いたとされています。, そこにはイエスの再臨、サタンとの激しい戦い、神の裁き、サタンに支配された邪悪な王国と悪の滅亡、イナゴの襲来、そして地球の歴史の最後に起こる出来事などが書かれています。神の救いを拒否した人たちは、永遠に苦しむことになり、神の救いを受け入れた人たちは新天地で、神と共に生きることができる。このようなことが書かれています。, その後、キリスト教はローマ教皇をトップとするヒエラルキー体制を固め、権威集中と布教拡大路線を取ります。, ルターは「そんなこと聖書のどこにも書いてないじゃないか!」と主張し、聖書に忠実な宗派であるプロテスタントが生まれます。, 新共同訳の聖書を数えてみたところ、旧約聖書が1,502ページ(約4分の3)、新約聖書が480ページ(約4分の1)で合計1,982ページになりました。, しかしこれだけ膨大な量の聖書を、たった1日で理解するのは、そもそも無理なある話です。, よろしければブックマークをして、何日かに分けて、ゆっくり整理してみるようにしてみて下さい。, こちらでは旧約聖書や神曲についても解説しています。全体像を把握してみたい方や、これから読んでみようと考えておられる方におすすめです。, 「ある基準」に沿って集められた、古代イスラエルの地方に存在した、様々な文書を寄せ集めたもの, 現在の新約聖書以外にも、イエスや使徒について書かれたものなどは存在しますが、これらの基準を満たさないものは、聖書からは外されています。, 「新約聖書」はキリスト教独自の聖典になり、ユダヤ教では「新約聖書」を認めていません。, こちらの動画がわかりやすいので、少しご覧になってみてください。新約聖書の説明は5分58秒からになります。, 「イエス」が誕生したのは紀元前4年。聖母マリアを通して「神ヤハウェ」の子として生まれたとされています。, イエスは数々の奇跡と、愛と赦しの教えで、多くの人を救済しましたが、権力者の反感を買い処刑されます。「彼が復活・昇天したことで死後の新たな世界(天国)が開かれた」「神を信じるものは平等に救われる」といった「キリスト教の教義」が、後に弟子たちによって作られていきました。, ガラリヤの漁師。イエス第一の弟子で十二使徒の統率者。イエスから天国の鍵を授かり(イエスから教会への権限委譲の意味)、初代教皇になります。ローマで布教活動を行いますが、ローマ皇帝ネロにより逆さ十字により処刑。バチカンのサンピエトロ大聖堂は、「聖ペテロ」の意味。, ガラリヤで漁師をしていましたが、兄ペトロに誘われイエスに同行します。後に小アジアやギリシャで布教活動行いますが、ローマ総督により投獄され、X字型の十字架で処刑。, ガラリヤの漁師。ゼベタイの子でヨハネの兄。ペテロ・ヨハネとともにイエスに最も近しい人物とされています。ヤコブは使徒に2人いますが、弟子入りの早かったヨハネの兄を大ヤコブといいます。初期エルサレム教会の中心人物ですが、ヘロデ王により処刑。, ガラリヤの漁師で大ヤコブの弟。イエスに最も愛され、イエスの死後は聖母マリアの世話もしました。小アジア布教中にローマ皇帝に捕まり、パトモス島に流刑。「ヨハネの福音書」と、「ヨハネの手紙一、二、三」「ヨハネの黙示録」の著書とされています。, 十二使徒の中で最も若く、使徒では唯一天寿を全うしました。(ヨハネ以外はかなり残酷な殉教遂げています), ガラリヤの漁師で、初期にイエスに従った弟子の1人。バルトロマイの友人でイエスたちの食料調達係を担当。ギリシャなので布教活動をしますが、石打の刑で殉教します。, フィリッポに導かれて弟子入り。聖書ではあまり語られませんが、イエスに「真のイスラエル人」と賞賛されます。広い範囲で布教活動を行いますが、アルメニアで生きながら皮を剥がされ殉教します。, 。マタイは使徒であるのと同時に「マタイの福音書」の著者でもあります。各地で布教を行った後、トルコで殉教したとされています。, アルファイの子で、マタイの兄弟。使徒にヤコブが2人いますが、後に弟子入りしたマタイの兄弟の方を小ヤコブと呼びます。ペテロに「主の兄弟」と呼ばれ、イエスに容姿が似ていたそうです。初代エルサレム司教になり、熱心に布教をしますが、エルサレム神殿の屋根から突き落とされ殉教。, タダイの伝承は混乱しており、小ヤコブの子ともイエスの親族とも言われます。実は「ユダ」という別名がありますが、「イスカリオテのユダ」と区別するために「タダイ」と呼ばれます。「ユダの手紙」の著者。アルメニアで布教活動行いますが、斧で殺害され殉教。, ガラリヤの漁師で、ディティモ(双子)と呼ばれました。使徒でありながらイエスの復活を信じようとしない、疑り深い性格の持ち主(「トマスの不信」と呼ばれました)。東方で布教活動行い、南インドにおいて槍で刺され殉教。, シモンも聖書では多くは登場しません。シモンという名前がこの地方に多いため、頭に「熱心党」がつけられたそうです。なお、「熱心党」というのは「反ローマ帝国の過激派組織」のこと。タダイとペルシャへ布教を行いそこでノコギリで挽かれて殉教。, 銀貨30枚でイエスをユダヤ教の権力者たちに売り渡した、伝説の裏切り者。直後に後悔をして自殺。イスカリオテは彼の出身地。, 「ヨハネの福音書」「ヨハネの手紙一、二、三」「ヨハネの黙示録」の著書とされていますが、否定的な学者も多い。, 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その後イエスと名づけなさい。…」, 資料の解釈に誤りがあり、誕生年に間違いがあることに気づきましたが、暦を修正することができなくなったため、, 私のためにののしられ、迫害され、見に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられた時、あなた方は幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなた方よりも前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。, 匹の魚」だけを取り、賛美の祈りを唱え、5,000人の群衆に与えると、全ての人が満腹した。, イエスが湖の上を歩いていた。それを見たペトロは真似をするが溺れてしまう。イエスは「信仰の薄いものよ。なぜ疑ったのか」といった。, ユダヤ教では、ユダヤ人こそが神ヤハウェに選ばれた特別な民族であると考えるため、最終的に神に救われるのもユダヤ民族だけと考えます。, キリスト教では、ユダヤ教のヤハウェとイエス・キリスト、そして精霊を合わせて神とする三位一体という考えを取ります。, なお、ユダヤ人たちはイエスを救世主とは認めておらず、「新約聖書」も認めていません。, そこで聖書を読むときは、次の点に注意して読んでみてください。ルターの言うとおり、確かに書いてないですから、面白いと思いますよ。, 計算してみると、1ページの文字数が1104字もあり、一般的な文庫本の2倍近くの文字数があります。, なぜ「メッカのカアバ神殿」と「エルサレムの岩のドーム」が聖地なの?[60分でクルアーン3], 福音書自体には著者に関する記述はありませんが、金銭や徴税人に関する記述が多く、旧約聖書についても詳しいことなどから「マタイ」であると推定されているようです。, 「マルコ」は「ペトロ」の通訳を務めた弟子で、「イエス」と直接面識はないとされています。「ペトロ」から「イエス」の生涯について聞き取った話を福音書に記したとされています。.

小学校から高校まで12年間もカトリック系の学校に通ったため、聖書はかなり読ませられた。 深く感じ入る話もあれば、納得いかない話もあった。, 納得いかない話の筆頭にあったのは、パン五つと魚二ひきを5000人以上で分けた話だ。 しかし、これをお金の話と考えた時に、初めてすんなり納得ができた。, この話は、イエスが弟子に5000人を超える群衆に食料を配るようにと命じる話である。 群衆に行き渡るほどの食料がないため、群衆を解散させて各々で食べ物を用意するよう告げて欲しいと弟子はイエスにお願いしたのだが、イエスは弟子たちに食べ物を配るように言った。, この話の特徴は、イエスが奇跡によってパンと魚を増やしたとは一切書かれていないことである。 聖書では、イエスが奇跡を起こした時は、イエスや周囲の人の行動が具体的な数字と共に詳細に記載される。 例えば「カナでの婚礼」では、召使が6つの水がめに水を入れて宴会の世話係のところに持って行くと水がワインに変わっていた。 このように誰が何をしたかと詳細に書かれることが多い。 しかし、この話についてはパンや魚が増えたとは全く書かれていない。 ということは、パン五つと魚二匹を配って5000人超の群衆を満たしたということなのだ。, この話の意味が、長い間、謎だった。 しかし「お金の流れに乗るには、もらった中から払うのではなく、まず自分が先に払うこと」という言葉を頭に入れて、この話を考えた時にやっと納得ができた。, 五つのパンと二ひきの魚では群衆を満たすことができないと弟子たちは考えて、イエスに無理だと訴えるのだが、イエスは持っているものを配るように言った。 「こんなことやっても意味が無い」という言い訳を抑えて「まず自分が差し出すこと」を実践しろと教えたのだ。 そうすると、見えない力が働いて、全員が満たされた。 実際には、それぞれ食料を持っているものが分け与えたのだと思う。 とにかく、十二のかごにいっぱいになってパンが戻ってきた。最初に持っていた数より増えたのだ。, マタイがここで伝えたかったことは、まず自分が差し出したら、自分の力を超えた力が働いて周囲の人達に豊かさが行き渡り、そしてその豊かさが何倍にもなって自分に返ってきた、ということなのだ。, マタイによる福音書の第14章には、このパンと魚の話の直後にもう一つの興味深い話が書かれている。, 聖書には、イエスが海の上を歩く話が書かれている。 風が強く舟が出せないため、イエスは海の上を歩いて弟子たちのところに向かった。 それを見て恐怖の叫び声をあげる弟子たちにイエスが「わたしである。恐れることはない」と声を掛けた。, この話のポイントは分かりやすい。 恐れず信じていれば、海の上を歩くといった不可能に思えることでさえ可能になる。 その代わり、少しでも不安を感じて「こんなこと不可能だ」と思ったら、思ったとおり不可能になる。, この話が、五つのパンと二匹の魚の話の直後に、章を分けずに書かれていることに意味があると思う。 「まず自分が払った。そうしたら自分の力を超えた力が働いて周囲の人達に豊かさが行き渡った。そしてその豊かさが何倍にもなって自分に返ってきた」という循環は、中間地点で何が起きているか分からないため、信じることが難しい。 自分が払って、そのまま返ってこなかったらと思うと不安で怖い。 しかし、少しでも不安を感じれば想像の通り返ってこないと戒めて、信じて先に自分が差し出しなさい、と言っているのが、この章の教えなのだ。, 私は特定の宗教に対する信仰は持っていない。 しかし聖書は信頼している。 数千年もの長い間、読み継がれてきた書物だからだ。 長い間受け継がれているものは、本であろうと物であろうと、人間にとって不変の価値があるから残り続けていると思う。 なので、数千年も語り継がれている聖書に書かれていることは真理であると思っている。 聖書をどう解釈するかによって多くの宗教が生まれたが、聖書には既存の宗教の枠を超えた真理が描かれていると私は考えている。, ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。. 新約聖書通読のために; 聖書全巻リレー通読. そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。 5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、 天国は彼らのものである。 © 2020 自分の心を殺してはいけない All rights reserved. 聖書. パール・バック聖書物語 (新約篇) (現代教養文庫 (1632)) created by Rinker. 「神はかつて預言者たちによって多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には御子によってわたしたちに語られた。」, 「ヘブライ人への手紙」冒頭(1:1, 2)のこの句は、新約聖書全体を巧みに要約している。アブラハム、モーセ、預言者たちを呼び出し、イスラエルの民の長い歴史を通して自らを知らせた生ける神は、民との完全な出会いを実現し、エレミヤが告げた新しい契約を結ぶため、ついにその独り子を送る。「ヨハネによる福音書」はこの独り子を紹介して、「わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。」(ヨハ  12:45)というイエスの言葉を伝えている。新約聖書はまさに、イエス・キリストを通して与えられる神と人間との決定的な出会いと、各人にとってのその意義を物語る書である。, 比較的短い二十七の書物は、福音書、「使徒言行録」、手紙、「ヨハネの黙示録」から成っている。, 福音は、イエスがもたらした決定的救いの恵みであり、福音書は、このイエスがその短い生涯で行い、教えたことを伝え、イエスの死と復活を語る。これは伝記というよりも、イエスによって生きた人々の証言の記録である。, 「マタイによる福音書」は、ユダヤ教から改宗したキリスト者に特に留意して編集されている。ここにはイエスが旧約の約束と待望の成就であることが力説され、イエスの教えは、五つの大説教(5~7章、10章、13章、18章、24~25章)のかたちで紹介されている。, 「マルコによる福音書」は、異邦人の改宗者を対象としており、福音の言葉によって絶えず働いているイエスに従うよう、人々を招いている。, ルカは、「ルカによる福音書」と「使徒言行録」の著者である。前者はギリシア文化に親しんでいる読者に向けられており、ユダヤ人のみならずすべての人の救い主であるイエスが、特に弱い者、小さい者や罪人(つみびと)に近づいてこれに福音を語ることが強調されている。また、エルサレムで十字架にかかり、復活するためにエルサレムに上るイエスの姿を伝えるが(9:51~19:27)、この死と復活の神秘こそ、地の果てまで告げ知らされる聖書の救いの使信の核心である。, 「使徒言行録」は、イエスがもたらした救いの告知がペトロ、パウロなどによってエルサレムに始まり、サマリア、シリア、ギリシアから、ローマまでに広がる経過を描いている。, 「ヨハネによる福音書」は、読者がイエスを神の独り子と信じて永遠の命を得るように記され、イエスの言行のうち特に意味深いものを伝えようとしている。, パウロの手紙は、彼が創設した諸教会、訪ねようと思うローマのキリスト教徒、あるいは彼の協力者にあてられたもので、手紙の配置は、年代順ではない。, 「ローマの信徒への手紙」は、神の恵みの力、罪人である人間の姿、信仰による救い、信仰者の新しい生き方、死んで復活したキリストとの一致、また聖霊による新しい生活等、パウロの説教の重要な主題を扱っている。, 「コリントの信徒への手紙」は、パウロが一年半滞在して創設したコリントの教会にあてられている。その中の「第一の手紙」は、彼の出発後分裂した共同体を一致させ、提起された諸問題に答えている。よく知られている「愛の賛歌」は13章に見られる。「第二の手紙」は、パウロの不在中に反対者が現れたコリント教会の危機時代をかいま見せ、パウロの和解の熱意と和解に続く大きな喜びが知らされる。パウロは本書でエルサレムの教会への献金を勧めているが、後半の数章(10~12章)はパウロの心を示す自伝的なものである。, 「ガラテヤの信徒への手紙」も、異なる信仰の危機への応答であり、パウロは、キリストがもたらした新しい契約の特長を情熱を傾けて語る。, 続く三つの手紙と「フィレモンへの手紙」とは、パウロが牢獄で書いたものである。まず、「エフェソの信徒への手紙」はユダヤ人、異邦人を問わず、キリスト者はすべてキリストに一致して、キリストの体を形づくっていることを説明したのち後半では、この一致を日常生活の中で生きるように促している。フィリピはパウロが創設した西洋の最初の教会であり、「フィリピの信徒への手紙」には援助への感謝が述べられている。パウロは獄中にあっても、キリストによる喜びと信頼とに満たされており、喜びの手紙といわれる。コロサイはエフェソの東方の町で、キリスト教の共同体はパウロの弟子によって創設された。パウロは「コロサイの信徒への手紙」の中で、種々の宗教思想によって惑わされているキリスト者を助けるために、救いにおけるキリストの卓越した役割を説く。, 「テサロニケの信徒への手紙1」は、パウロの最も初期の手紙で、未熟で迫害にさらされている信者たちを力づけるために書かれている。「第二の手紙」は、キリストの再臨を見られないのでないかとの不安を抱くキリスト者にこたえている。, 「テモテ」と「テトス」はパウロの協力者で、パウロは彼らに託された教会をよく指導するよう励ます三つの手紙(「テモテへの手紙1、2」と「テトスへの手紙」)を送る。「フィレモン」はパウロの友人、協力者であり、獄中のパウロは、主人のもとから逃亡し自分のところでキリスト者となった、フィレモンの奴隷オネシモを兄弟として迎えるよう勧告する。, 「ヘブライ人への手紙」は、長い勧告の書であり、旧約聖書を引用しながら、キリストが預言者、天使、モーセにまさること、またその祭司職は旧約のそれをはるかに凌駕することを指摘し、よく知られる11章には、信仰のすばらしさが述べられている。本書がどこで、だれにあててしたためられたかは分かっていない。, 続く手紙のうち、「ヨハネの手紙2、3」以外は、キリスト者全体にあてられている。「ヤコブの手紙」は、信仰生活の実際的側面、特に共同体内での人間関係や家の問題に指針を与える。「ペトロの手紙1」は、迫害によって失意のうちにあるキリスト者を勇気づけ、「ペトロの手紙2」と「ユダの手紙」は、異端に対して信仰を純粋に保つよう求める。「ヨハネの手紙1」は、キリスト教の本質である愛を語る。この手紙と「ヨハネの手紙2、3」は、神の子の受肉を否定する説に直面しているキリスト者の信仰を強める目的で書かれている。, 新約聖書は、人間を救う神の計画が、キリストの輝かしい再臨に向かって、どのように完成されるかを象徴を用いて示す「ヨハネの黙示録」で終わる。これは迫害の下に苦しむキリスト者を励ます書である。, 読者がこの聖書を通して,生ける神と出会い,日々の生活の中で救いを見いだせるようにと祈ってやまない。, ご利用規約    プライバシーの保護について    このサイトに関するお問い合わせ, 1997-2020 © Japan Bible Society, Allrights reserved.