いわゆる「哲学的な問題」は、コツさえつかめば簡単に作ることができます。一見すると難しそうな問題も、少しの知識と想像力があれば作ることができてしまいます。, ここではそのポイントを紹介し、いくつか例を用いて実演することで、悪しき哲学のネタばらしをしてみたいと思います。, 男性・女性、メス・オス、なんでもいいですが、人間には性別があると私たちは普通考えています。いわゆる哲学的な問題を作るためには、この区別を指摘すればいいわけです。, 人間に性別があるというのが一般的な観念だ。しかし男女の二項対立を作ることは、そこに収まらない「半陰陽」の人びとにとって抑圧的に働くほかない。私たちは彼/彼女らを抑圧しないよう、この二項対立を絶対視することは避けなければならない。, アメリカの黒人差別を例に取ってみます。要するに黒人と白人間に存在していた差別よりも根源的な差別がどこかで広がっている、と指摘すればいいわけです。たとえばこんな感じに…。, アメリカにおける黒人差別はすさまじい。しかし時代が経つにつれて黒人に対する差別は次第に弱まってきた(ライス元国務長官やオバマ大統領が象徴しているように)。これは一見するとアメリカから差別が消えてきたことを示しているかのように見えるかもしれない。しかし実は違う。白人内においても、キリスト教の宗派が異なれば、それは十分に差別の対象となる。アメリカの政治では、プロテスタントの地位が強く、カトリックは弱い。カトリック信者で大統領に就任したのはジョン・F・ケネディだけだ。私たちは差別を黒人/白人の対立のうちで捉えてはならない。それは同じ人種内に潜む差別を非可視化するからだ。, というようにいくらでも作り出せますが、構造的には全部同じです。なので次のように一般化することができます。, 私たちはAとBの対立をしばしば問題にする。しかしAとBの二項対立は、その外部に位置するC、D、E、F…にとって抑圧的に働く。私たちは、社会がそれらを抑圧していることに気づき、二項対立を作ろうとする動きにつねに抵抗しなければならない。「『…』の声なき声」に絶えず耳を傾けていなければならない。, いわゆる哲学的な問題を作るのに一番手っ取り早いのは、一般的と思われている区別を任意にピックアップして、そうした区別を置くことそれ自体が、その区別に収容されない「外部」を作り出し、これに抑圧的に働くという図式を作ればいいわけです。なので問題は「外部」に関する知見をどれだけ集められるか、どれだけ意外なことを言えるかという点にかかってきます。ポストコロニアリズムの一般的な着地点も、およそこうしたところになります。, 以上は2つの概念で作った問題ですが、実は1個の概念でも同種の問題が作れます。外部を準備さえすればいいわけですから。たとえば「赤」という概念だと…, 「これは赤色だ」と言う。それは赤色ではない色(青色など)に抑圧的に働く。パレットに収まりきらない色への想像力を持つことが、色への感度をより研ぎ澄ましてくれる。他の色があってこそ、赤色は赤色として位置づけられる。このことを見落としてはならない。, 批判的な目を忘れないことは確かに大事です。ただ、以上のような問題設定には重大な問題点があります。それは、「なぜそのような区別が生じてくるのか?」という問いに対して納得できる答えを示すことができない、ということです。, 私たちが性別の観念を抱いてきた理由、それはこうした区別を置くことで優位に立つ人びとがいたからだ。差別が人種間で生じると考えられてきた理由、それは白人と黒人との関係に人びとの視線を向けさせることで、白人内部に根付く、より根源的な矛盾を隠すことができたからだ。以上の問題設定は、結局のところそういった地点に着地するほかありません。これは率直に言って、かなり強引な論法です。, 以上の2つのケースに関して言えば、むしろ問題は、不当な差別をいかにして無くしていくことができるか、という点に集約されます。, 性別それ自体が悪であると決めてかかるのではなく、どのような場面で性別は正当であり、どのような場面で不当な差別と化するのか、というように考えていくほうが、より生産的です。そうすることによって初めて、何らかの区別を置くことの正当性の根拠を見て取り、実践可能な判断基準を置くことができるからです。, 確かに、ポストコロニアリストのガヤトリ・C・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』を見ると、抑圧された絶対的他者をも目掛けた想像力が、普遍性という概念を実質的に生かす条件であることは否めませんが、外部性を指摘しているだけでは、声なき声に耳を傾けているという倫理的アピールの域を最終的に超え出ることはできません。, 最後に、はみ出ている箇所への想像力を涵養する必要がある、というような倫理的ニュアンスでカッコよく仕上げる.  でも、それは絶対にたしかだと言えるだろうか? 

0000077692 00000 n コダックやリーマン・ブラザーズ、鈴木商店など、古今東西、倒産してしまった会社25社の背景とそこからの学びをまとめた『世界「倒産」図鑑』という書籍を昨年末に執筆しました。, ここまで隆盛を極めた企業がなぜ倒産に至ったのか。経営の仕組みそのものの問題もあれば、人間関係の問題もありました。自ら時限爆弾を仕込んで、時間差で爆発したような自業自得とも思えるケースもあれば、時代の不可抗力のようなものに巻き込まれつつもギリギリまで努力の上、力及ばず倒れていったようなケースもありました(涙なしでは語れないようなストーリーも数知れず)。, 当たり前ですが、置かれた時代背景や業種によって、その倒産の理由はケースバイケース。一概に共通項を括れるものではありません。, しかし、倒産してしまった企業の内側に蔓延る「考え方」に着目し、敢えてその共通項を仮説ベースで導くのであれば、それは「哲学的な問いの不足」ということにあるのではないかと考えています。, では「哲学的な問い」とは何か?それは、根源的かつ抽象的な問いと言い換えることができます。, たとえば、アパレル業を営むのであれば、「人はなぜ洋服を着るのか?人はなぜ洋服を買うのか?」という問いに向き合うことです。出版業界であれば、「人はなぜ本を読むのか?」「人はなぜ学ぶのか?」という問いに向き合うべきでしょう。, これらの問いは根源的、抽象的がゆえに、明確な答えが出せるわけではありません。おそらく答えは人によって異なるでしょう。したがって時間をかけた議論や対話が必要になります。, この「哲学的な問い」の対極にあるのが、表層的であり具体的でもある「実務的な問い」です。, たとえば、「売上5%増をどう達成するか?」であったり、「新規顧客数を昨年対比2割増やすにはどうするか?」という問いが該当します。, これらの問いは、おそらく多くの人が日常的に考えている問いであり、企業によってはKPIとしてしっかり管理されている組織もあるでしょう。, そして、私たちの脳内は、無意識でいれば「実務的な問い」で満たされていきます。実務的な問いは、哲学的な問いと比較して、答えのブレが少なく、正解が見つかりやすい類のものです。だからこそ、解法を早く見出した人や組織は短期的に急成長していきます。, しかし、気を付けなくてはならないのは、そういった「実務的な問い」に向き合い続けることは、短期的な達成感を生み出してくれますが、長期的には変化に弱い組織を作ってしまう、ということです。「実務的な問い」は、すぐに賞味期限切れを起こしてしまいます。, 購買行動の在り方そのものが変革を迎えている世の中で、「リアル店舗の顧客満足度向上」だけに向き合っていても意味がないでしょう。本当は環境に合わせて問いの方向性を変えなくてはならないのに、「実務的な問い」の引力に負けて、わかりやすく答えの出しやすい問いに向き合い続けてしまう。, そんな組織は、変化のタイミングで、再度本質的な問いに向き合うマインドセットの切り替えができず、大きな変革に踏み出せなくなります。, 「自社しか知らず、偶像崇拝で井の中の蛙になっている皆さん・・・指示しなければ何もしないと、外部の人々からそごうの社員への評価は低いのです」, これは、倒産(民事再生法申請)後、経営再建のためにそごうに乗り込んだ和田繁明・元西武百貨店会長からの、社内報でそごう社員に向けられたメッセージです。, 想像するに、おそらく当時のそごうの現場では、限定的な「実務的な問い」にしか向き合ってこなかったのかもしれません。だから、百貨店のビジネスモデルそのものが変わりつつあっても、問いの抽象度を高めることができなかった。このように、自ら問いの方向性を変えて考えることのできない個々人の状態が、外部の和田さんには「指示しなければ何もしない社員」と見えたのかもしれません。, もちろん「実務的な問い」に向き合うことも重要です。日々のキャッシュは、この「実務的な問い」への答えになります。言うまでもなく、その問いに答えなければ業績を上げることはできません。, 組織内で、より根源的な「哲学的な問い」に向き合う時間を少しでも担保できるか。これが、変化への対応の強さを決めるのです。, 昨今、ビジネス書においても、アート関係の本や哲学関係の本が密かなブームになっています。特に「アート」というタイトルがつく本は、書店でもよく見かけるようになり、ヒット本も増えてきているように思います。, この背景には、ビジネスパーソンの間で具体的で表層的な「実務的な問い」に向き合い続けることへの潜在的な懸念があるのだと私は見ています。, つまり、アートのように不明確でよくわからないこと、正解のないこと、短期的には答えの出せないことに向き合う胆力の重要性や価値に、多くの人が気づき始めているのではないかと。もしそうだとすれば、そのムーブメントは歓迎すべきだと思います。, 今、私たちの目の前にある仕事は、何かを実現するための「手段」でしかありません。その手段はどんな「目的」を実現するためのものなのか。私たちは果たして何を実現するために働いているのか?, 抽象的で答えの出しにくいこういった「哲学的な問い」に正しく向き合い、その問いを抱え続け、時間をかけて答えを出していくことは、組織を永続的に発展させていくために必要なことです。具体的でわかりやすい「実務的な問い」の奴隷にはなってはなりません。, このような問いの方向性をコントロールしていくための思考力が、いま、私たちに求められているのではないでしょうか。, 著書に『見るだけでわかる!  要するに、人間は生まれながらに平等なのか否かという問いに、絶対的な答えを与えることはできないのだ。だから、この問いをイエス/ノーの次元で議論するかぎり、僕たちはどこにも行きつかない堂々めぐりを繰り返すほかなくなってしまうのだ。 0000166279 00000 n 0000018331 00000 n 0000003359 00000 n  美しい答えではある。でもそれも、だれにも当てはまる絶対の答えとは言えないだろう。

0000012711 00000 n 0000164204 00000 n ©️PRORED PARTNERS CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.  だからこの問いも、本当は次のような問いに変えるべきなのだ。, これなら一応、多くの人が納得できる“答え”にはたどり着けるかもしれない。問うに値する問いであるかどうかは別にして……。, きっと、多くの人が考えたことのある問いだろう。 0000007953 00000 n 0000063069 00000 n  人間を含め、あらゆる生物は遺伝子を残すために生きている。そう主張する人もいるだろう。  でもその一方で、経済社会を生きる僕たち人間は、現実的に言ってなかなか平等とは言いがたい。前回も言ったように、現代社会では、生まれ育った家庭や地域によってどうしても将来的な差が生まれてしまうし、生まれ持った能力なんかも、完全に平等というわけじゃない。 0000170714 00000 n 哲学対話とは? - 哲学対話とは?哲学対話とは、下記の「対話のルール」をもとに、「問い」について自由に話し合うものです。~対話のルール~どんなことでも話していい。(話をある程度そらしても構 …  人はだれかを愛するために生きている。そう言う人もいるだろう。

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