さて、晴明神社のことについて、以前も書いているんですが、私はこちらの神社、こじんまりとしてかなり好きな神社なんです。初めてこちらに伺ったのが、2012年の秋で、この時は大学院での作品作りに必要な写真を撮りに行ったんですが、京都ブライトンホテルに泊まると言うことで、元々の屋敷跡にお邪魔して、京都での安全な観光(いろんな意味でね)、それからいい写真が撮れますようにと言うおねがい方々伺いました。, 随分と前から私自身、神社や仏閣、また精神性による神道や仏教、霊能に関して興味があったので、いろんな本を読んだり、または自分で感じる部分での愉しみを増やしてきましたが、特に、ここの晴明神社における感じはとっても興味深いものがあります。, そのときの旅の行程は、まず、京都に入って、京都での紅葉の写真を撮りまくり、その後、天川村、吉野山の金峰山寺で秋のご開帳をする予定で行ったので、まずはじめに晴明神社に伺うことになりました。, ご存知のように、晴明神社は平安時代の最も力があったとされる陰陽師、安倍晴明を祀る神社であります。普通の神道の在り方として、人が神様になる場合、怨霊封じ、または疫病封じ、天皇関係、それに準じた階級(?)や地位によって神様になる場合が多々ありますが、官僚であった陰陽師が神様にまでなると言うのは、かなり珍しいことではないかと私は思います。, 多分、こう言ったことから、ある人たちにとってはこの晴明神社は苦手、となるんじゃないか・・・とおもう部分もあります。, 例えば、桜井識子さんのブログでは『相性の良くない神社』という記事(桜井さんは、あまり陰陽師のことはご存知ないようですが)において、晴明神社は相性の良くない神社ということをおっしゃっていて、そのあと、晴明神社とじっくりと、がっぷりと向き合ったお話もまた書いていらっしゃいますが、ああ、なるほどなぁ・・・と思いました。その本がこちら。, しかし、桜井さんにとっては多分、苦手な神社なんでしょうが、私はどちらかと言うと、京都に滞在するときにはお世話になりますって言う感じの神社のように思っているんです。桜井さんの本を読むとよくわかるんですが、やはり、安倍晴明は死しても、神となっても術師、陰陽師である、それも最強の陰陽師である・・・と言う印象なんです。, つまり、晴明神社に行って、お祈りし、ご縁を結ぶことによって、京都にいる限りはその術、あるいは咒によって邪悪なもの、異質のものから守ってもらえると言う感覚があります。ですから、山の神様や水の神様や仏様、自然界の神様とは全くもって違った神様であると、まあ、桜井さんもおっしゃっているんですが、私もそれに同感です。, ただ、私がちょっと違う感じで思ったのは、人それぞれ出自が違うので、私の場合はそんなにあわない、苦手ではないということ。私の実家、母方の方は元々は皇族に属していた家系で、まあ、ゆうなれば安倍晴明が仕えていた側の出ということになります。なので、多分、そう行った背景、血筋からか私にとってはなんとなく、馴染みがあるというか、咒や呪術に対する受け入れの器がある感じがしています。ですから、晴明神社に行っても「はい、屋敷跡のホテルに滞在します、よろしくお願いいたします」っていう感じなんですねぇ。, しかし、2014年の2回の目の訪問の時は全くもって違いました。実はこの時は、旦那の50歳の誕生日で京都に行ったんですが、はじめに吉野山に行ったんです。そこで金峰山寺での夜の勤行とご開帳を体験しまして、それから京都に入りました。この時は、無宗教の旦那が一緒だったため、どちらかというと、本当に「観光」という感じでおりました。ですから、晴明神社にも数日たってから伺った感じだったんです。, もうねぇ・・・なんだろう・・・門が閉ざされちゃったというか、完全にシャットアウトされた感じがしたんです。冷た〜いんです。無視されている感じ・・・。以前行った時の「ほう、来たのかい」っていう、のんびりとした雰囲気はなくて、閉店している感じ。まあ、京都についてすぐに伺わなかったから、ちょっと時間が空いちゃって、怒っているのかなぁ・・・なんて思ったりしもして。でも、お守りを買い直さないといけないので、社務所に行き、巫女さんにお守りをくださいと言ったのに、この巫女さんさえも無愛想でものすごく、冷たい。もう、ほとんど「ポイっ」ってお守りを投げてよこされた感じ(多分、そういうつもりなかったと思うけど)。, それが、ずっと、ずっと、今だに悲しくて、悲しくて。4年近くも、ことあるごとに悶々としていたくらいです。, それで、色々と答えを探すべく読み漁ったり、調べてみたりしたら、この桜井識子さんの本に出くわしたんです。それで理由がな〜んとなくわかりました、というか、わかったような気がして来たんです。多分、そうじゃないかな・・・と思います、今は。, そう、吉野山の金峰山寺での山の仏様とのご縁を結んじゃって、ものすごい強いものを背負ってやって来たんじゃないか、それで私自身が神社にとっての「異質」になっていたんじゃないかという気がしたんです。この桜井さんじゃないですけど、私もまた山岳系の神様、仏様とのご縁を結んだことによって、晴明神社が「相性の良くない神社」になってしまったんではないかと思い当たったんです。, まあ、吉野山の金峰山寺の夜の勤行に参加なさった方はわかると思うんですけど、あれは、ものすごいですから・・・もう、何だろう、パッシーン!っと叩かれる感じの気合が入るというか、なんと言うか、実はあれから私は修験道に目覚めまして、女性だから無理だけど、あの修験道の装束にはゾクゾクして、萌える・・・。そう、これが萌えるって言うことなんだと初めてわかりました。, 今回は、京都が先で、次に吉野山の金峰山寺、いまの時期は、夜の勤行、ご開帳の時期ではないので、朝の勤行に参加して来ます。ですから、多分、今回は大丈夫じゃないかと思うんですが、どうなるかなぁ・・・と思っています。多分、「はいはい、京都にいる間は、咒をかけてあげましょう。」と言って下さることを期待しているんですけど。, 京都は本当に色々と面白い街で、ご飯も美味しいし、こういった呪術がふんわりと体験できる場所も晴明神社だけでなく、結構な数あるんですが、そういう現代社会からはかけ離れた異郷になぜか私は惹かれるんですねぇ。まあ、オーストラリアにもアボリジニーたちが畏怖した「マジック・フォーレスト」なる場所もかなりありますし、私にとってはどちらも興味深いし、こういう自然のエッセンスがあるからこそ、生きるって楽しい・・・と思うときもしばしばです。, そして、今回の友は同類ですから、さて、彼女は何を感じるか・・・ふふふふふ・・・とっても楽しみです。, 2000年から国際結婚オーストラリア在住。シドニー某大学の修士課程卒業。『海外在住引きこもり主婦』のアーティスト兼ブロガー。専門は銅版画ですが油絵もやります。オーストラリアの生活事情や文化などを中心に書いてます。 海上安全 農業 五穀豊穣.

月読神社は松尾大社の摂社で「松尾七社」の一社です。正式には「月讀神社」と書きます。また「松尾大社」、「月讀神社」と以前紹介した「櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)」を合わせて「松尾三社」と呼びます。

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松尾大社から500Mほど南に歩きます。 幼稚園の脇を通りしばらして見上げると右手に大きな朱い鳥居。 月読神社です。 鳥居を潜ると石段の先に神門が見えます。 拝殿の奥に本殿が見えます … 冒頭のタイトル通り、今回は「大将軍神社」を訪れます。昔、京都で「大将軍」と聞けば「ニュー、代将軍!」というキャッチフレーズのCM... このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。. 日本最大級のパワースポット検索サイト。日本全国のパワースポットや神社を紹介しています。, http://www.matsunoo.or.jp/tukiyomi/index/.

京都で初もうでの鉄板といえば、何といってもお稲荷さんの「... 今日も山登り 60-61。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=月読神社_(京都市)&oldid=79947885.

今年も紅葉シーズンにたいへんお世話になった、「南禅寺」。

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こんばんは今年6月、月読神社に行くことになったのは5月の満月の日に月読尊に話しかけられたのがきっかけです。私は満月の日に、“ お財布ふりふり ” を10年以上…

「阿刀... 阿多古祀符 火迺要慎 2018/6/26

月読神社(つきよみじんじゃ、月讀神社)は、京都府 京都市 西京区松室山添町にある神社。 式内社(名神大社)で、現在は松尾大社摂社。 「松尾七社」の一社。松尾大社の南400メートルの地に鎮座す … Tweet; 神様一覧; « 須佐之男命(スサノオ) 高御産巣日神(タカミムスビ) » .

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Copyright © パワースポット検索。神社検索。. 月読神社は松尾退社の摂社ですが独立した境内を持っています。壱岐の島に現れた月読命を祀る神社として、1500年以上の歴史があります。月読命自体は謎の多い神様ですが、安産祈願やみそぎなどのご利益で有名な神社です。, 名称:月読神社

日本神話で最も尊い神は「三貴子」と呼ばれる、姉「天照大御神」(太陽神、昼の神)、次弟「月読命」(月の神、夜の神、海の神)、末弟「須佐之男命」(大地の神)の3神です。

ツクヨミノミコト(月読命)は日本神話の中で三貴神と呼ばれる重要な神様の1柱ですが、ほとんど記述がみられず謎多き月の神様です。今回はそんなツクヨミノミコト(月読命)にまつわる、神社やご利益、神話の中の様々な解釈や説について解説します。

主祭神:月読尊 All Rights Reserved.

別称: ふりがな:つきよみじんじゃ

戌年 京都府内にある⛩神道の月読命を御祀りしている神社やイベント情報の一覧がご覧いただけます。 京都 神道 祭神. 公式HP:http://www.matsunoo.or.jp/tukiyomi/index/, 天照大神、素戔嗚尊、月読命は三兄弟ですが、月読命はほとんど神話上のエピソードがなく謎の多い神様として知られています。一説には海の干潮を司る神、または占いの神様だったとも言われています。, 境内の月延石は、神功皇后が朝鮮出兵の際に、戦に出ている間出産を遅らせてくれと祈った石です。無事帰国後に応神天皇を出産しました。そのことから安産や子宝祈願のパワースポットとして有名です。, 願掛け陰陽石は、二つの石が寄り添ったように埋まっている霊石です。両方の石を撫でることで、諸願成就すると言われています。, ご神水である解穢の水で手を洗うことで、穢れが落ちると言われています。飲むことはできないのでお祈りをしながら手にかけましょう。, ほとんど参拝客がいないため、京都には珍しくゆっくり参拝できます。境内は意外に見所も多いです。(女性33歳). 「建勲神社」、京都民も「けんくんじんじゃ」と言いますし、市バスのアナウンスも「けんくんじんじゃまえ」ですけど、ほんとは.... 北の守り 赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代の仁和4年(888年)に、第三世天台座主 慈覚大師 円仁(えんにん)の遺命によって創... 昔は嵯峨野のはずれ 初もうでに行く方は多いと思いますが、あなたはどこにお詣りしますか? . 創建:487年

属性:神道 6月5日(水)は天気が良かったので、京都府亀岡市にある「牛松山」に登りました。登山も目的ですが、頂上近くにある「金刀比羅神社... 皇城表鬼門  京都市内にただ一つ鎮座する「月読神社」と、ただ一つ残る地名の場所を訪ねました。, 「月読神社」は嵐山に近い西山に鎮座する渡来人の秦氏が祀った京都最古の神社「松尾大社」の摂社として松尾大社から歩いて10分弱の所に、神秘の雰囲気を漂わせながらひっそりとでも荘厳に鎮座しています。, 伝承では、“海の神”として壱岐島の月読神社に祀られていた月読命を、古墳時代の487年、壱岐縣主の壱岐氏が京都に分霊、この地に祀ったと言われています。 今回は「嵯峨野」の方ですよ。「新丸太町通り」にある「ケーヨーD2」の近くにある「阿刀(あと)神社」です。 © 2020 異国でアートな人生 All rights reserved. 京都の日本で一番有名でそして最強だったと言われる陰陽師、安倍晴明を祀る神社。実はこちらの神社はちょっと他の神社とは違うのではないか?というお話ですが、信じか信じないかはあなたの感性次第。 2018/6/25 月読神社:つきよみじんじゃ(京都府京都市西京区松室山添町) 月読神社 は全国にあり、そのほとんどが 月読命 ( ツクヨミ ) を祀る。 ご利益. 本堂はもとより、「三門」や多くの塔... あまり人が来ない穴場 月読神社は松尾大社の摂社で「松尾七社」の一社です。正式には「月讀神社」と書きます。また「松尾大社」、「月讀神社」と以前紹介した「櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)」を合わせて「松尾三社」と呼びます。  なぜ大和朝廷の祖先神/天照大御神の弟神の本拠が壱岐なのでしょう。不思議です。, 弟神/ 須佐之男命も、日本書記の一説では新羅から来たと言われ、この兄弟は、韓半島と何らかの関係があったことを暗示しているようです、謎です。, 境内にはケガレを除く「解穢(かいわい)の水」、神宮皇后ゆかりの安産祈願の「月延石」、縁結びの「むすびの木」などパワースポットだらけです。, 地名の残る場所は、桂離宮と京都駅の中間、旧山陰道と西高瀬川の交差する所にありました。近所に寺社旧跡もないありふれた下町で、何故ここにこの地名が残るのか不明です。, 日本神話で最も尊い神は「三貴子」と呼ばれる、姉「天照大御神」(太陽神、昼の神)、次弟「月読命」(月の神、夜の神、海の神)、末弟「須佐之男命」(大地の神)の3神です。, 「天照大御神」は皇祖神として伊勢神宮に、「須佐之男命」は出雲神話の主人公でありその子孫は出雲大社に祀られ広く信仰され、多くの神話伝承が残っていますが、「月読命(ツクヨミノミコト)」は、たった一つの伝承しかなく謎の神です。, 「天照大御神/須佐之男命」を祭神とする神社は各々1万以上あるのに対し「月読命」を祭神とする神社はたった85社しかありません。 天満宮(天神さん)3953社、春日神社1072社と比べても極めて少数です。, 伝承では、“海の神”として壱岐島の月読神社に祀られていた月読命を、古墳時代の487年、壱岐縣主の壱岐氏が京都に分霊、この地に祀ったと言われています。, 京都ミステリ-スポット 第24回 「神社の壁をトントン叩いてお詣りする、”ゑべっさん”」, 京都ミステリ-スポット 第3回 「閻魔王庁で裁判の手伝いをしていた平安貴族/小野篁(たかむら)」.

月読神社(つきよみじんじゃ、月讀神社)は、京都府京都市西京区松室山添町にある神社。式内社(名神大社)で、現在は松尾大社摂社。, 一般にツクヨミ(月読尊)は、『古事記』『日本書紀』の神話においてアマテラス(天照大神)の兄弟神として知られるが、月読神社祭神の神格はその記紀神話とは別の伝承で伝えられた月神であると考えられている[1]。『日本書紀』顕宗天皇3年2月条[原 1]における月読神社の創建伝承では、高皇産霊(タカミムスビ)を祖とする「月神」は壱岐県主(いきのあがたぬし)に奉斎されたとある[2]。また『先代旧事本紀』[原 2]では、「天月神命」の神名で壱岐県主祖と見える[2][3]。これらから、当社祭神の神格は海人の壱岐氏(いきうじ)によって祀られた月神(海の干満を司る神)と推定される[1]。また別の神格として、壱岐氏が卜部を輩出したことから亀卜の神とする説もある[3]。, 関連して、『日本書紀』顕宗天皇3年4月条[原 3]では対馬下県直が奉斎した「日神」の記載があるが、こちらもまたアマテラスとは異なる太陽信仰を出自とする神とされる[1]。同条では、月神と同様にこの日神も高皇産霊を祖とすると記されている[1]。, 『日本書紀』[原 1]によれば、顕宗天皇(第23代)3年に任那への使者の阿閉臣事代(あへのおみことしろ)に月神から神託があり、社地を求められた。朝廷はこの月神に対して山背国(山城国)葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすだ)」の地を奉り、その祠を壱岐県主祖の押見宿禰が奉斎したという[4][2]。以上の記事が当社の創建を指すと一般に考えられている[5]。その後『日本文徳天皇実録』[原 4]によれば、斉衡3年(856年)に水害の危険を避けるため月読社は「松尾之南山」に遷座されたといい、以後現在まで当地に鎮座するとされる[2][注 2]。このほか『山城国風土記』逸文によれば、月読尊が保食神のもとを訪れた際、その地にあった桂の木に憑りついたといい、「桂」の地名はこれに始まるという説話が記されている[6]。, 前述のように顕宗天皇3年の記事は壱岐氏の伝承と考えられており、本拠地の壱岐島にある月読神社[注 3]からの勧請(分祠)を伝えるものとされる[5]。山城への勧請には、中央政権と朝鮮半島との関係において対馬・壱岐の重要視が背景にあるとされる[1]。壱岐・対馬の氏族が卜部として中央の祭祀に携わるようになった時期を併せ考えると、月読神社の実際の創建は6世紀中頃から後半と推測されている[1]。, 当初の鎮座地「歌荒樔田」の比定地について、社伝(月読大神宮伝記)では上野説(月読塚が存在した地)・桂里説を挙げるが、他に宇太村説(のちの平安京造営地)・有栖川流域説などの諸説が知られる[5]。『文徳天皇実録』の記述により川辺にあったことが確かとされることから、中でも上野説が有力視されている[5][7]。, 史実としては、大宝元年(701年)[原 5]に「葛野郡月読神」ほか諸神の神稲を中臣氏に給するという記事が初見である[5]。その後、前述のように斉衡3年(856年)[原 4]に松尾山麓に遷座し、天安3年(859年)には正二位の神階に叙された[2][注 4]。, 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、山城国葛野郡に「葛野坐月読神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている[2]。神名帳では丹波国桑田郡にも小川月神社(京都府亀岡市)の記載があり、大堰川流域における月神信仰の広がりが指摘される。, 中世には周辺に「禰宜田」と称する田畑のほか若干の社領を有したが、松尾大社の勢力に押されたと見られている[4][2]。これらの社領は織田信長入京後も安堵された[2]。, 近世には完全に松尾大社に従属化しており、社領として松尾神社神供料1,000余石のうちから月読禰宜分100石1斗、月読祝分16石が配分される立場であった[2]。, 明治維新後、明治10年(1877年)3月21日に松尾大社摂社に公式に定められ、現在に至っている[5]。, 月読神社の禰宜は、松室氏(まつむろし)が担っている[8]。松室氏は『日本書紀』顕宗天皇3年条に見える押見宿禰を祖とするといわれ、壱岐氏(いきうじ、壱岐県主のち壱岐直)の後裔とされる[1]。この壱岐氏について、『新撰姓氏録』[原 7]では壱伎直条に「天児屋命九世孫の雷大臣の後」として、中臣氏(天児屋命後裔)系であるかのような記載があるが、これは壱岐氏が卜部として朝廷に奉祀するにあたって中臣氏に統率されたためと考えられている[1]。このような中臣氏との関係は、大宝元年(701年)に社地を中臣氏に給するという記事にも見える[原 5]。なお松尾大社や月読神社に伝わる系図によると、月読神社社家は源平時代に松尾社家(秦氏)の女を母とし、秦氏を名乗ったという[1]。, 「松室」の名乗りは古くは室町時代の文書に見え、以後現在まで松室氏を称している[8]。, 社地は斉衡3年(856年)記事[原 4]以来、現在地に位置するとされる[9]。月読神社の京都への勧請に際しては渡来系氏族(特に秦氏)の関わりがあったと考えられており、古代京都の祭祀や渡来文化の考証上重要な神社であるとして、境内は京都市指定史跡に指定されている[9]。なお室町時代初期の「松尾神社境内絵図」によれば、かつての社殿としては本殿・拝殿のほか、假殿・庁屋・講坊・贄殿等があった[5]。, 松尾大社神幸祭では、松尾大社本社や他の松尾七社とともに月読神社も出御するが、月読神社のみ神輿ではなく唐櫃を出すこととなっている[5]。このことについて、伝承ではかつての祭礼で神輿が流されたため唐櫃を使用するという[12]。一方、月読神社境内の御船社の存在とから唐櫃は船を意味するとし、当初から神輿は使用されなかったとしたうえで、唐櫃・御船社のいずれも月読神社の月神が海人により信仰された名残とする説がある[1][12]。また、還幸祭で御旅所として使用される朱雀御旅所(松尾総神社)では月読尊が祭神に祀られていることから、月読神社で元々行われていた独自祭祀が松尾大社の祭礼に吸収された結果、現在のように松尾祭で御旅所として機能するに至ったとする説もある[12]。, 松尾大社本社では、平安時代の作とされる3躯の神像(国の重要文化財)が伝えられるが、そのうち壮年男神像は月読尊と伝えられる。また月読神社では神像として女神像1躯が伝えられており、他の松尾大社摂末社の神像と併せて京都府指定文化財に指定され、現在は松尾大社の宝物館に所蔵・展示されている(「松尾大社#文化財」参照)。, 祭神を1柱とする記載は神社由緒書・境内説明板等の公式表記による。一方、文献によっては, 松尾への遷座については、『日本文徳天皇実録』では斉衡3年(856年)とするほか、『月読大神宮伝記』では仁寿3年(853年)、『松尾七社略記』所引「社家相伝之説」では大宝元年(701年)とする。これらのうち正史の斉衡3年(856年)が最も有力視される (, 壱岐の月読神社は、『延喜式』神名帳において壱岐島壱岐郡に名神大社として記載される神社で、八幡神社または, 社伝(月読大神宮伝記)では、『日本三代実録』貞観11年(869年)12月17日条で従一位叙位、元慶8年(884年)2月21日条で葛野月読宮奉幣、『日本紀略』『扶桑略記』等の延喜6年(906年)12月20日条で正一位勲二等叙位、天慶4年(941年)8月5日条で神宮号宣下の記事があるというが、いずれも原本には見えない (, 松前健 『日本神話の謎がよく分かる本』 大和書房、2007年、pp.

多分、京都でも一番気持ちがいい神社ではないかと思うのが、この下鴨神社ではないだろうか。特別なことはなくてもゆったりと散歩がてらに行って、歩くだけで全てを祓ってくれる糺ノ森や、綺麗になると言う美人御用達の可愛神社。実はご利益満載のスーパースポット!  「天照大御神」は皇祖神として伊勢神宮に、「須佐之男命」は出雲神話の主人公でありその子孫は出雲大社に祀られ広く信仰され、多くの神話伝承が残っていますが、「月読命(ツクヨミノミコト)」は、たった一つの伝承しかなく謎の神です。