43 (375c), 2台のピアノのためのソナタ楽章 変ロ長調(断片)K. C 25.04/05) - ヘ長調 K. Anh.

42 (375b), 2台のピアノのためのソナタ楽章ないしロンド・フィナーレ 変ロ長調(断片) K. Anh. ピアノソナタ第13番 変ロ長調 K. 333 (315c) は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したピアノソナタ。, かつては1778年夏にパリで作曲されたものと考えられていたが、近年の研究では1783年から1784年、あるいは1783年11月頃にリンツで作曲されたと考えられ、同時期には有名な交響曲第36番 ハ長調 K. 425「リンツ」も作曲されている[1]。そして1784年4月21日にはChristoph Torricellaによって第6番ニ長調 K. 284(205b)(デュルニッツ・ソナタ)とヴァイオリンソナタ第32番 変ロ長調 K. 454とともに「作品7」として出版されている。, 第1番 ハ長調 K. 279 (189d) - 第2番 ヘ長調 K. 280 (189e) - 第3番 変ロ長調 K. 281 (189f) - 第4番 変ホ長調 K. 282 (189g) - 第5番 ト長調 K. 283 (189h) - 第6番 ニ長調 K. 284 (205b) - 第7番 ハ長調 K. 309 (284b) - 第8(9)番 イ短調 K. 310 (300d)a - 第9(8)番 ニ長調 K. 311 (284c)a - 第10番 ハ長調 K. 330 (300h) - 第11番 イ長調 K. 331 (300i)『トルコ行進曲付き』 - 第12番 ヘ長調 K. 332 (300k) - 第13番 変ロ長調 K. 333 (315c) - 第14番 ハ短調 K. 457 - 第15(18)番 ヘ長調 K. 533/494b - 第16(15)番 ハ長調 K. 545b - 第17(16)番 変ロ長調 K. 570b - 第18(17)番 ニ長調 K. 576b, ^a 通し番号内の()の番号は新モーツァルト全集の番号 ^b 通し番号内の()の番号は旧モーツァルト全集の番号, 変ロ長調 K. 498a (Anh. :ピアノ・ソナタ 第10番 K.330 K6.300h ハ長調, Mozart, Wolfgang Amadeus:Sonate für Klavier Nr.10 C-Dur K.330 K6.300h, 旧来このソナタは、続く2つのソナタ(イ長調 K.331、ヘ長調K. モーツァルト ピアノソナタ第13番変ロ長調K.333 W.A.モーツァルト ピアノ/大和響 第1楽章 Allegro 第2楽章 Andante cantabile 第3楽章 Rondo-Allegro grazioso Total time 20'05 試聴URL http://d1013408.hosting-sv.jp/asx/mo-sonata333-all_h.asx ピアノ学習者さんによってはある意味鬼門となるソナタの一つですね。 ぼくにとっても、もっと苦しめられてきた曲の一つで、高校時代に泣きながら練習してたのを思い出します(笑) ピアノ弾いてて一番辛かった時期かな。 ちょうど今、仕事で散々モーツァルトを弾かされてるんですが、弾きながらふと思ったんです。 あれから25年経って、ぼくのモーツァルトってどう変わったんだろう。 25年でモーツァルトの一体何を勉強したんだろう。 どこまで彼を知り、発見し、寄り添えたんだろう。 生きたアレグロ? 恐怖の概念がまったくない音? エディションの研究と時代考察とピリオド奏法? いろいろ考えたんですけどね、やっぱりモーツァルトってゲーテ曰くのデーモンなんですよね。 弾けば弾くほど愚弄され、翻弄され、およそモーツァルト像から離れていくのを指先で感じるわけですよ。 おそらく次の25年先も同じこと思うのだろうけれど、生まれて初めてモーツァルトの壁と偉大さを痛感したこのK.333ソナタをね、25年経った今、ぼく自身の成長記録を兼ねて残してみようかなと思ってね。 巨匠が弾くモーツァルトには遠く遠く及ばない稚拙極まりないモーツァルトですが、今この曲に触れ、そして苦労されているピアノ学習者の方にとって僅かながらでも指針となれれば幸いです。, 1783年、モーツァルト27歳時の作品で、その翌年にウィーンのトリチェラ社より出版。しかしながらこの作品、長らくはそれよし少しさかのぼった1778年のパリ滞在時の作と見られていた。 1778年のモーツァルトと言えば22歳、父親の勧めもあり故郷ザルツブルグを出て就職活動のためパリを訪れていた頃である。そしてパリから父親に宛てて以下のような手紙を書き送っている。 「ロンドンからバッハさんがここへ来られて二週間になります。彼はフランス語のオペラを書くつもりです。ここへは歌手の視察に来ただけで、すぐにロンドンへ戻り作品を完成させてから、舞台に上げるためにまたここへ来るでしょう。ぼくらが再会した時のお互いの喜びといったら、お父さんにも容易に想像できるでしょう。」 ここで言うバッハとは、大バッハ11番目の息子であり、父と同じ音楽家でもあったヨハン・クリスティアン・バッハのことを指す。モーツァルトは8歳の時に父に連れられてロンドンを訪れた際ヨハン・クリスティアンに会い、その生涯を通して彼を尊敬し、影響を受けたこともあってパリでの再会はモーツァルトにとってさぞ嬉しい出来事であったことであろう。 しかしながら嬉しいと言ってもそう単純な話ではなく、実はクリスティアンがパリに到着する少し前の7月3日、この就職旅行に同行した母をパリで亡くしている。さらに肝心の就職活動も失敗、挙句の果てには下宿先の大家の娘アロイジア・ウエーバーに失恋するなど、モーツァルトの生涯の中でももっとも不幸な最中にあった。そこへ数少ない心を許せるヨハン・クリスティアンが訪問したことで、モーツァルトの苦悩は大きく和らいだことは想像に難くない。 ヨハン・クリスティアンはこの時、翌年出版されることになる第17番のソナタを完成させていた。そしてこのソナタが、本作K.333のピアノソナタと極めて近い作風を持っていることから、おそらくはこの時にモーツァルトはクリスティアンのソナタを知り、それに触発されてK.333の作曲に着手したものと思われてきた。相対性理論を打ち立てた物理学者アインシュタインの弟であり高名なモーツァルト評論家でもあるアルフレッド・アインシュタインも自著「その人間と作品」の中でこの説を支持し、「第1楽章はクリスティアンへ、フィナーレはモーツァルト自身への帰り道を描いたものだ」と述べている。 しかしながらこのソナタは、一聴していただくとお分かりいただけるように、モーツアルトのピアノソナタの中でももっとも軽やかで美しく、天真爛漫な彼の性格を如実に反映した純朴なモーツァルト像を感じる。仮にクリスティアンとの再会でモーツァルトが安息を得たとしても、果たしてこの音楽を、母親を亡くし、就職に失敗し、失恋の痛手を負った直後の人間が書けるものであろうか。 そうした疑問、謎に端を発し、近年になってこの曲の正確な作曲年を再考する動きが加速した。その結果、筆跡鑑定や自筆譜の分析、紙質の調査などにより1783年から翌年あたりに作曲された可能性が示唆されるようなる。さらに、1782年年元旦にクリスティアンが死亡したことを知ったモーツァルトが、同年4月10日に父親に宛て「イギリスのバッハが亡くなったことはご存知でしょう。音楽界にとって惜しむべきことです」と絶望を綴っていることを考えれば、クリスティアンのソナタ作品17-2とモーツァルトのK.333のソナタの類似性については、音楽上の大きな影響を受け尊敬していた先輩に捧げたオマージュと推測でき、現在では1783年末、モーツァルトが妻コンスタンツェを伴って里帰りを果して、ザルツブルクからウィーンへ戻る途中リンツで作曲されたと考えられいる。 第13番を与えられているこのK.333のピアノソナタは、モーツァルトの他のピアノソナタに比べ突出して弾き難い。楽曲の構成に関しても、第3楽章には28小節にも渡る長大なカデンツが配置されており、ピアノソナタというよりも、もしろピアノ協奏曲としての要素が強い。ちょうどこの頃、モーツァルトは自身主催の演奏会のために矢継ぎ早にピアノ協奏曲を書いており、この曲が協奏曲としての要素や技術的に高い難易度を持っていることは、おそらくこれをモーツァルト自身が演奏すること、もしくは協奏曲として仕上げようとスケッチを始めた末、何らかの理由でピアノソナタに変更したのではないかと思われる。, http://d1013408.hosting-sv.jp/asx/mo-sonata333-all_h.asx.