正義というテーマを中心にして国家論が展開されていますが、この記事では以下のように大きく3つの章に分けて説明していきますね。 【ホンシェルジュ】 古代ギリシャの哲学者、プラトン。名前は聞いたことがあっても、どんな人か説明できる方はあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。今回はプラトンについて知っておくべき7つの事実と、彼にまつわる本をご紹介します。 | ozawa(歴史すきライター) 「もし<一>というものがまさにそれ自体として、じゅうぶんに見られ、あるいは何かほかの感覚によってとらえられるものであるとしたら、ちょうど指の場合について行っていたのと同じように、それは我々を実在するものへと引っぱっていく性格のものではないことになるだろう。けれども、もしそれが見られるときにはいつも、何か反対のものが同時に見られて、一つとして現れるのに少しも劣らず、またその反対としても現れるということになるのであれば、これはもう、その上に立って判定する者が必要となるだろう。」(524d-525a) この国家では、お互いが家族のようなものであるから、家族に乱暴するようなことはしない「つつしみ」と、誰かを傷つけた場合にその家族から報復されるという「恐れ」により、平和が保たれる。(趣旨要約) ここにプラトンの示すユートピアがある。 「プラトンの哲学(3)イデア論とはどんなもの?」では、この偉大な哲学者の中心的なテーマである「イデア論」についてご紹介しました。, 今回は、プラトン哲学のもう1つの柱である「国家」についての思想を見てみたいと思います。政治思想のところですね。, プラトン中期の大作で『国家』という本があります。これは国家論や政治思想だけが書かれているわけではありません。, イデア論のまとめにもなっていますし、プラトンの霊界思想も出てきますし、「善とは何か」という話もありますし、とにかく論点が多いんです。, 『国家』の議論は「正しさ(正義)とは何か」という探究からスタートします。そもそも何かが「正しい」とはどういう意味なのか? これを調べようというわけです。, ソクラテスなど『国家』の登場人物たちはまず「国家の正しさ」から話を始めることにします。, ある国がどういう状態にあれば「その国は正しく営まれている」「その国は正義に適っている」と言えるのだろうかということですね。, 途中の議論をすっ飛ばして結論だけ言うと、そこで「正しい(正義に適った)国家」と認められたのは次のようなものです。, 1番上は「守護者」(統治者)の階級。1人か複数人かはともかく、いずれにしても少数精鋭のエリートたちですね。, 3番目が「生産者」階級。要するに生産活動に従事する農夫・職人・商人などの一般民衆ということでしょう。, 守護者階級は「理知」(ロゴス)を、軍人階級は「気概」を、生産者階級は「欲望」をそれぞれに体現しているとされます。, 生産者は欲望をしっかり抑制して「節制」した生活を送る(なぜかこれだけ抑制ですが……)。, この「智慧」「勇気」「節制」こそが各階級がそれぞれ身に付けるべき「徳」だというのです。, そして国家の「正しさ」(正義)とは「各階級による「智慧」「勇気」「節制」がバランスよく実現していること」に他なりません。, そしてプラトンは、以上の理想国家論をモデルにして、人間個人の「魂」についても論じていくのです。, 個人の魂もやはり「理知の部分」「気概の部分」「欲望の部分」の3つに分かれており、それぞれに対応して「智慧」「勇気」「節制」の徳がある。, そしてそれらの徳がバランスよく実現していることが「正しさ」であり、そういう人こそ「正しい人」だと言える。……と、大体こんな感じの結論ですね。, 魂と国家を対応させるプラトンの方法を、専門的には「国家と魂のアナロジー(類比)」などと呼ぶことがあります。, ちなみに、ここでプラトンが整理した「智慧」「勇気」「節制」「正しさ」(正義)という4つの徳は、後世のヨーロッパで「枢要徳」(cardinal virtues)と呼ばれて重視されていくことになります。, さてプラトンの政治思想ということでは、よく「哲人王」というキーワードが出てきます。, プラトンによれば「哲学者が王となるか、王が哲学をやるか、このどちらかでないと国は不幸になる」というのです。, 「王」と言うと「1人でないといけないのか」とも思いますが、『国家』を読んでみると特にそういった含みはなく(少数精鋭ではありますが)複数でもいいようです。, 優秀者支配制の元のギリシャ語は「アリストクラティア」で、「最善なる者の支配」という意味だと言います。, よく「貴族制」と翻訳される言葉ですが、プラトンの場合は家柄や財産に基づく“いわゆる貴族制”を指しているわけではありません。, 統治者(候補生)たちは若い頃から訓練され、肉体的にも頭脳的にも優れた人物となるべく教育されます。, 中でも最も大切なのは哲学であり、それによって彼らは物事のイデアを理解できるようにならなければいけません。, なぜなら「善とは何か」(善のイデア)や「正しさとは何か」(正しさのイデア)を理解しなければ、人々を正しく統治して国を運営することはできないからです。, ちなみにプラトンの政治思想でよく取り上げられるトピックに「妻子の共有」というものがあります。, つまり「妻(あるいは夫)および子供はみんなの共有物であり、特定の誰かのものではない」という考え方です。, 子作りのために一時的に男女が結びつくことはあっても、ずっと結婚生活をしてはいけません。, なぜなら「あの女は俺のものだ」「あの男は私のものよ」などと言って人間の所有関係を定めてしまうと、社会を分断して国家の一体性を損ねてしまうからというのです。, プラトンはこういうことを言うので、単なる空想家のように扱われることもありますが、少しフォローしますとプラトンは別に「全国民がこうなるべきだ」と言っているわけではありません。, この「妻子の共有」は統治者階級だけの話です。「財産の共有」は統治者階級および軍人階級だけ……。, つまり一般大衆は普通に結婚していいし財産を持っていてもいいわけですね。なのでプラトンを「共産主義者」「社会主義者」と言うと、ちょっと誤解を生んでしまうと思います。, プラトンの言う哲学とは「魂の配慮」でもあるので、哲学の研究とは厳しい精神修養の道でもあるでしょう。, もちろん家族も財産もなし……。「統治者たる者、そんな普通の生活が送れるなどと思うな!」という感じでしょうか。結構なスパルタです(涙)。, 財産や名声を得るために権力を求めるような人は、割に合わないのでやめるべきでしょう。, プラトンの教育プログラムが統治者にとって有効なのかどうかは判断保留しますが、自分に厳しくあること、「善」や「正義」を常に探究していく姿勢などは、いつの時代も変わらないリーダーにとって必須の資質かもしれません。, プラトンに言わせれば、哲学を学んだ統治者による「優秀者支配制」が最善の国制です。これは先ほどの「理知」「気概」「欲望」の3分法で言うと、理知が国を支配している状態です。, 先ほど「智慧と勇気と節制がバランスよく実現しているのが正しい(正義に適った)国家だ」と言いました。, しかしこれは別に「これら3つの徳が同じ分量だけあって拮抗している」という意味ではなかったわけですね。, やはり智慧が一番偉くて、それ以外のものをうまくコントロールしている状態こそがバランスのいい状態なわけです。, ところが「理知」が退場して他の部分が優勢になると、国家の堕落が始まります。理知を気概が上回ると国家は「名誉支配制」に移行します。, 名誉支配制とはプラトン以外の政治学ではあまり出てこないのでピンと来ませんが、「勝利」「名誉」を主な価値観とする制度で、プラトンは都市国家スパルタなどをイメージしていたようです。, さらに気概を欲望が上回ると「寡頭制」になります。欲望の中心はカネです。利得・金銭・富を重んじる国です。, 国民がカネを巡って争い合い、ある人々が他の人々の財産を奪って富裕者/貧困者という2つの階級が生じます。そして前者が国を支配するようになるのです。, 理知→気概→欲望と来たので、寡頭制が堕落の最終段階かと思いきや、まだ先があります。貧困者もまた欲望に支配されていますが、何しろこちらの方が多数派です。, 民主制の主体となる民衆たちは「自由」「平等」を要求しますが、プラトンのイメージでは彼らは放縦や浪費を特徴とするならず者集団にすぎません。, そしてそういう集団には必ず悪辣なリーダーが出てくると言います。その人物が民衆の支持を背景にうまく独裁的権力を手に入れたらそれが「僭主制」となります。これが最悪の政治体制です。, 以上の話をまとめると次のようになります。上に行くほどよい体制、下に行くほど悪い体制です。, また「考えの浅い大衆の中から独裁者が登場してくる」という考えは20世紀のヒトラーやムッソリーニが登場してくる過程を気味が悪いくらい正確に描いているような気がします。, ここまで読んでいただいてお分かりのように、プラトンは「民主主義」が大嫌いです(笑)。, 多くの人が指摘するように、やはり師ソクラテスが市民裁判で死刑になってしまったことが大きいでしょう。, プラトンに言わせれば、「無学な愚民ども」が一時的な感情にかられて偉大な哲人を殺してしまったわけですね。, 「アホな大衆が集まってワァワァやり始めるとろくなことにならん!」と思ってしまう気持ちも分かります。, プラトンのような偉大な哲学者が民主主義を批判しているということは、「どうして民主主義が大事なのか」を改めて考えるきっかけになると思います(ちなみに僕は民主主義者ですよ)。, 僕らは学校で「民主主義のおかげで悪王や独裁者から人権を守ることができる」と教わりました。, もしそれが理由なら、善い王様が(独裁的だけど)善い統治をして人々の自由や人権が守られるなら民主主義など要らないことにならないでしょうか?, 実際に国民を幸福にしてくれる哲人王がいるのに、それでもなお民主主義を選ぶというなら、もっと深い人間学レベルでの理由づけが必要なのではないかと個人的には考えています。, いずれにせよ、プラトンを論破するくらいのつもりで理論武装しないと(笑)民主主義を擁護することもなかなか難しいかもしれません。, さて、『国家』にはこれ以外にも「太陽の比喩」「洞窟の比喩」「詩人追放論」「エルの臨死体験」などなどトピックがたくさんあって、とても書き切れません。, プラトンのような古代の偉大な哲学者の考えを知ると、現代の自分たちが当然と考えていたことが相対化されて視野が広がったりします。, それは自分たちの価値観について(捨てるにしろ守るにしろ)改めて深く考え直すことにもつながります。こういうことが思想を学ぶことの醍醐味かもしれません。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. プラトン『国家』篇研究 米谷翔太 本論考では、プラトン(427-347 bc )の中期対話篇の一つである『国家』篇を取り上げ、 そこで展開されている魂」を中心に、プラトン中期哲学の特質を明らかにしていく。 「眼鏡っ娘」がただの「眼鏡をかけた女」とは異なるという事態を、本書は端的に示している。国家の指導者となるべき哲学者を教育するエピソードにおいて、プラトンは数学教育の重要性を説く。そこで彼は「一」を認識することが真理を見抜く知性の土台を作るとして、こう言う。 それは凸の国家などではなかったはずだ。プラトンの国家、それはやはり凹の国家だったのである。 そうであるのなら、こういうことも言えるのだ。われわれは(われわれはというのは日本人のことだが)、何もさかのぼって凸の国家の起源にあたる物語を探さずともよいのではないか。いわ� 【要約】「正義」とは何であるかを考えた本です。 国家にとっての正義とは、上に立つべき人がちゃんと上に立ち、下にいるべき人がしっかり下で従っている状態を指します。上に立つべき優秀な人とは、哲学者のことです。同じく、正義の人とは、上に立つべき知