仏塔にたどり着くには385段の階段を露店や物乞い、獅子やガルーダの石造をその参道に見ながら進んでいきます。仏塔の高さは15m、四方に全てを見通すというブッダの眼が描かれています。境内で見られる建物は多様です。子供を護る神様を祀るハリティ寺院やチベット仏教のカルマ・カギュー派の僧院、インドのシカラ様式の仏塔・・・と宗教の混在するネパールならではの寺院と言えます。 ※営業時間外に受信したメール・FAX・郵送などでのご連絡は、翌営業日扱いとなります。, Copyright(c)SAIYU TRAVEL Co;Ltd. All Rights Reserved.

〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-2 共同ビル神保町3階 盆地の底部からの高さが77mもあるので、ここからの眺めはすばらしいものです。13世紀までにはカトマンズ盆地で最も重要な仏教聖地となり、15世紀にはイスラム教徒により破壊されたが再建され、20世紀後半には中国から来たチベット人たちが周辺に住みつくようになりました。また、この寺院は別名「モンキー・テンプル」とも言われ、猿の姿をいたる所で見かけます。食べ物の入ったビニール袋などを持っていると猿に取られてしまうこともあるので気をつけましょう。, カトマンズから東に5km、ガンジス川の支流であるバグマティ川の川岸にあるネパール最大のシヴァ寺院。インドのヒンドゥー教徒にとっても重要な寺院で、インド亜大陸にある四大シヴァ寺院の一つでもあります。 シヴァラートリー(シヴァ神の誕生日)の日にはインド・ネパール中の巡礼者がこの寺院に詰め掛けます。破壊神であるシヴァは様々な化身を持ちますが、「パシュパティ」もその化身の一つです。 この場所には879年からシヴァ寺院があったことがわかっていますが、現存の寺院は1697年にマッラ王朝のブパティンドラ王によって建てられたものです。しかし、キラテシュワール寺院にある最古のシヴァ・リンガから推測するに、紀元前3世紀には最初の寺院が建てられたのではないかと言われています。パシュパティナート寺院は23.6mの高さをもち、寺院の四面には金色の扉が付いており、扉の両側にはヒンドゥー教の神々の像があります。 女性の力をあらわすグヘスワティ寺院は1653年に修復されたもので、父親のために火の中に飛び込んだと言う神話を持つ、シヴァ神の一人目の奥さんのサティデヴィ(カーリー)のための寺院です。この寺院にはヒンドゥー教徒以外は入ることはできません。 ラジュラジェシュワリ寺院は1407年に建てられたものですが、こちらもヒンドゥー教徒以外は中に入ることが出来ません。他にもゴラクナート寺院、ヴィシュワループ寺院などの寺院があります。橋の近くにはアルエ・ガートという火葬場があります。ヒンドゥー教徒はここで火葬されるのですが、一番川の上流にある火葬場は王族のものなので庶民は使うことはできません。また、火葬場は写真を撮ることは厳禁ですので気をつけてください。中に入ることは出来ませんが、バグマティ川の対岸から寺院の様子が良く見えます。ここにも猿が多くいるので、食べ物を入れたビニール袋を持ち歩いたり、物を食べたりすると危険なのでやめましょう。シヴァラトリ以外の祝日では、エカダシ、サンクランティ、ティージ、プルニマ(満月の日)などに多くの人が参拝します。, シヴァ神の生誕祭・シヴァラトリ年に一度シヴァ神の生誕を祝うお祭りで、シヴァ神が地球上に降り立つ唯一の日とも言われます。この日には、ネパールやインドでは夜通しで祈りの歌や踊りが行われ、人々はシヴァ神を祀る寺院に集まります。 ネパール最大のシヴァ寺院であるカトマンズのパシュパティナートは、ネパールだけでなく隣国インドからも何万という人々が巡礼に訪れ、ひときわ賑います。神の名を唱え、神を想い礼拝する事で人生が清められると信じられ、人々は口々にシヴァの名を唱えながら参拝します。, カトマンズを訪れる観光客のほとんどの方が訪れるチベット仏教の聖地がボダナート。カトマンズの町から東へ約7kmの所にある、南アジア一大きな仏塔を持つとされる寺院で、高さは36m。ボダナートはかつてのチベットとの交易のルート上に位置し、ここを通るチベット商人の休息地として、そして旅の無事を感謝し帰路の安全を願う祈りの場所となってきました。1950年代からは中国から亡命してきたチベット人の多くがこのボダナートの周りに住むようになり「リトル・チベット」として発展。ボダナートはネパールにおいてチベット人の信仰と暮らしを知ることができる場所で、マニ・コル(マニ車)を回しながら歩く巡礼者の姿やチベット僧が参拝する姿を目にします。熱心な信者の中には五体投地で参拝する人たちも。 ネパールは、世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈と世界の最高峰であるエベレスト山 (8848m)を擁する山岳国である。ネパールの人口は、2922 万人(2018年推計)で日本 の4分の1、また、面積は、約15万km2で日本の4割弱である。首都カトマンズ(District)

ネパールの首都はカトマンズ~ネパールの首都・人口・人口密度・平均寿命・男性の平均寿命・女性の平均寿命・主な宗教・国土面積・漢字表記・1文字の略漢字など各データ 「世界各国の首都&データま … Copyright (C) 2013 JILAF All Rights Reserved. 公益財団法人 国際労働財団 Japan International Labour Foundation, 14.7万平方キロ(日本の0.39倍)(The World Fact Book(WFB)), ポカラ(32.9万人、2015年推定)、パタン(22.6万人、2011年推定)(世界年鑑), 農林業31.3%、貿易14.8%(2015年、(公財)国際金融情報センター各国情報より), 1ネパール・ルピー(NPR)=1.04円、1米ドル=104.6NPR(2018年前半、IMF), ・2015年の新憲法制定により共和国の体制が整えられ、2018年には連立政権を組む二つの共産党が統合した。, 労働運輸管理省(Ministry of Labour and Transport Management), ネパール商工会議所連合会(FNCCI)(Federation of Nepalese Cahmber of Commarce and Industry), 1947年創設。 社会民主主義、平等と正義、公平な配分による経済発展を標榜。親インド路線。これまで6人の首相を輩出、ネパールの政治を担ってきた主要政党。2002年に「ネパール会議派民主」が分裂したが、2007年に再統合。, 2018年に統一共産党(UML)と共産党毛沢東派(MC)が統合して設立。統一共産党(UML:ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派)は1991年に設立。MCは1994年にUMLから分かれて結成。なお1949年に旧ネパール共産党がインドで結成。, 1990年設立の右派政党で議会では王党派であった。2013年の総選挙では24議席。これまでに二人の首相を出す。王政廃止には賛成。2006年に王政廃止と共産党との連立に反対するグループが離脱、「国民民主党ネパール」を結成。, 人口は1940年代までは約500~600万人程度であったが、1970年代から増加。1991年には1,800万人を上回り、2017年には2,931万人である。, 人口増加率は2010~2015年は1.7%で、2030年には人口約3,300万人に達すると予測されている(国連)。また合計特殊出生率は2010~2015年は2.7と推測される。, 2015年の年齢中央値は24.1歳で、人口に占める若年層の割合が多く、24歳以下が52%である。, 代表的な産業は、農林業、観光、貿易・卸売業、カーペット産業など。GDPの産業分野別比率はサービス産業52%、農業等27%、製造業等145%(2017年、WFB), 労働力人口は1,681万人(2017年)。産業別には農業等69%、製造業等12%、サービス産業19%(2015年、WFB), 2015年には52万人が外国で就労している。地方から首都カトマンズへ、カトマンズから外国へと労働者が移動しており、高学歴労働者の頭脳流出問題も顕在化している。, ネパールは、一人当たりGDPが800米ドル台でありアジアの最貧国から抜け出せていない。, GDPの産業別割合は農林業31.2%、卸売業14.2%、不動産業9.2%、運送業8.4%(2015年、WFB)。, 経済は農業への依存度が高く、就労人口では66.1%が農林水産業である。農業の生産性が低く工業化の進展が遅れている。, 海外の先進工業国からの直接投資が少ない。投資額の国別割合はインドが40.8%、中国が14.5%であるが、英国は2.6%、日本は1.2%である。産業インフラの脆弱性や政治の不安定性などが影響している。, 経済は海外の労働者等からの送金の役割がきわめて大きい。海外への出稼ぎ者数は約42万人。送金額は6651億ルピー(約6920億円)でGDP比では29.6%に達する(2015年)。, ネパールのナショナルセンターは、ネパール労働組合会議(NTUC)、ネパール労働組合総連合(GEFONT)、 ネパール総労働組合連盟(ANTUF)の3組織がITUC(国際労働組合総連合)に加盟し同総連合ネパール協議会(ITUC-NAC)を形成している。, また、その他の政府に登録されている8つの組合を含めて労働組合協同調整センター(JTUCC, Joint Trade Union Coordination Centre)が作られている。, ITUCに加盟する3つの主要なナショナルセンターの概要はつぎの通りである。-ネパール労働組合会議(NTUC:Nepal Trade Union Congress)、約32万人(25産別、7地, 日本JILAF、米国ACILS、スウェーデンLO-TCO、ベルギーWSM、などがプロジェクトを展開している。, JILAFはカトマンズに現地連絡事務所を設置し、インフォーマルセクターの労働者や、その家族の支援活動などを推進している。, 労働法上、労働裁判所の活用、団体交渉、ストライキについて、公序良俗に反するもの、根拠なく他者を誹謗する内容は「労働争議」として認められない。, ストライキは、団体交渉が不調に終わった場合に実施可能となっている。ただし、従業員の60%以上の同意および経営側に対する文書の通知が必要である。, ネパールの新年度(2018/2019)の最低賃金は従来の月額9700ルピー(約10,100円)から約38%引上げられ、月額13,450ルピー(約14,000円)となることが決定された。引上げ額3750ルピーの内訳は、基本給部分が2,250ルピー、手当部分が1,500ルピーである。従来の最低賃金は2016年2月に引上げられたもので、2年5か月ぶりの改訂である。, ネパールの最低賃金は2007年の労働法制で定められた。その当時の月額は3,300ルピーであったが、今回は6回目の改訂である。2017年の労働法改正では最低賃金は二年ごとに見直すこととされている。, なお、最低賃金は国レベルでの三者構成委員会で協議されるが、適用対象はフォーマル部門に所属する労働者についてである。農業分野と建設分野を含むインフォーマルセクターの労働者の賃金は、地方政府(郡行政局)が決めている。また、茶農園で働く労働者の最低賃金は、他の分野よりも低く設定されている。, 基本方針:後発開発途上国(LDC)からの脱却を目指した持続的かつ均衡のとれた経済成長への支援を行い、「2022年までの最貧国脱出」を掲げるネパール政府の取組みを後押しする。, 重点分野:①震災復興および災害に強い国づくり支援、②民間セクター開発、運輸交通、電力、都市環境など経済成長や国民生活の改善に直結する社会・経済基盤整備、③農業の生産性と所得の向上、保健医療や教育の水準向上等を通じ貧困削減とともに生活の質向上を支援、④カバナンス強化および民主主義の基盤制度づくりを支援。, 招へい事業:1989年から招へい事業を開始。今日までに、南アジアチーム、ネパール・パキスタンチームなどの参加 者として、65人(男性50人、女性15人)の若手労働組合指導者を招へいした(2017年度末現在)。.

1979年ユネスコの世界文化遺産に指定された古都 カトマンズは、人口およそ170万人のネパールの首都で、別名を「カンティプール」(栄光の都)と言い、1990年の民主化を機に急速に成長を遂げています。 ン(タンセーン) / Tansen / तानसेन, ミルチャイヤ / Mirchaiya / मिर्चैया. カトマンズ(ネパール語: काठमाडौं [kɑʈʰmɑɳɖu] 、ローマ字転写:kaṭhmaḍaũ、英語: Kathmandu )は、ネパールの首都で最大の都市である。 カトマンドゥとも呼ばれる。別名はカンティプル(Kantipur)。2019年の人口は144万2271人 TEL 03-3237-1391(代表) / FAX 03-3237-1396, 西遊旅行 大阪支社 ここに、ネパールとネパールの人々への感謝をこめて、初めてネパールを訪れた日本人である河口慧海ゆかりの地に、日本とネパール両国民の永遠の友好を祈念して顕彰碑を設置するものである。」 ネパールみどころガイド カトマンズ Kathmandu.

1979年ユネスコの世界文化遺産に指定された古都 カトマンズは、人口およそ170万人のネパールの首都で、別名を「カンティプール」(栄光の都)と言い、1990年の民主化を機に急速に成長を遂げています。首都にしては小さな印象を受けますが、ここはネパール随一の大都会。レンガ造りの街並みは中世の世界に迷い込んだような印象を受けます。街のいたるところに小さな寺院があり、宗教都市としての趣に溢れ、日本人にとってはなぜか懐かしくてたまらない気持ちにさせられる街でもあります。かつてこのカトマンズこそが「ネパール」と呼ばれていました。今でも農村部の人たちは「カトマンズへ行く」ことを「ネパールへ行く」と言います。カトマンズを見ずしてネパールを見ず。, 「ダルバール」とは「宮廷」という意味です。その名のとおり、マッラ王朝時代にはカトマンズ王国の中心部でした。王たちが美しさを競い合って建てた広場なので、その建物の装飾の美しさには目を見張るものがあります。広場に立ち並ぶ20数棟にも及ぶ寺院にはいろいろな時代のものが混在しています。このように古くから王族の由緒正しい場所であるダルバール広場では、今でも王族の戴冠式や即位式が行われます。この広場には生き神の住むクマリの館を始めとする見どころが多くあります。また、周囲にはハヌマン・ドカと呼ばれる旧王宮もあり、いつも観光客で賑わっています。広場の近くには庶民のバザールもあります。, 1757年にカトマンズ最後のマッラ王朝の王、ジャイ・プラカース・マッラによって建てられた、生き神と信じられているクマリが住んでいる館です。2頭のライオン像がその入り口を守っています。クマリはタレジュー神(ドゥルガ)の化身であると信じられており、ネワール・サキャ族の由緒正しい家の出身の、少女の中から選ばれます。他の地域にもクマリは何人かいますが、このカトマンズのクマリが最も重要なクマリであるとされます。団体で訪れ、いくらかお布施をするとクマリは顔を見せてくれますが写真を撮ることはできません。年に一度、国王もクマリに会いに来て、祝福のティカ(おでこに赤いしるしをつけてもらうこと)を受けます。年に一度のインドラジャトラの祭りでのクマリの山車巡行は必見です。, 18世紀にゴルカ王朝のバハドゥール王によって建てられたもので、2階の窓からシヴァ(破壊の神)とパールバティ(その奥さん)の彩色された木彫りが町を見下ろしています。寺院の入り口には寺を守る白いライオンの像があります。, 「ハヌマン」とはヒンドゥー教の猿の神様「ドカ」とは門のことで、ハヌマン像のある門がもともと「ハヌマン・ドカ」と呼ばれていましたが、今では旧王宮もその付近もすべてハヌマン・ドカと呼ばれています。旧王宮は17世紀に造られたもので、ネワール建築の集大成とも言えるすばらしい装飾を目にすることが出来ます。今、王族はここには住んでいませんが、現在でも外国の要人が訪れたときには、行事のために使われています。ハヌマン像は1672年にマッラ王朝の王、プラタップ・マッラによって作られました。像の横にある金のドアが旧王宮の正門にあたり、2頭のライオン像がその入り口を守っています。, カトマンズにある石像の中では最も大きいものの一つで、シヴァの化身であるカーラ・バイラブの像です。シヴァの破壊神としての化身で、目を見開き、首に頭蓋骨のネックレスを巻き、人間の皮を羽織って、人々を恐れさせる外見をしています。 カーラ・バイラブの前でうそをつくと即座に死んでしまうと信じられており、17~18世紀には、政府はこの像の前に犯罪の容疑者を連れてきてその罪を白状させていたといいます。, アサン・チョークはマチェンドラナート寺院の近くにある旧市街の中心地です。スパイスや野菜を売る人、牛、人、リキシャ・・と非常に賑やかな庶民の広場です。広場の端のほうにあるアンナプルナ寺院からは道行く人が鳴らす鐘の音がいつも聞こえます。市場は朝5時頃から8時頃まで立ちます。 インドラ・チョークは中世の街並みをそのまま残す通りで、日用品やサリー、毛織物などの店が軒を連ねています。上を見上げると建物の窓の装飾がとても美しいことに気が付きます。マチェンドラナート寺院、ガネシュ寺院、アカシュ・バイラブ寺院、シヴァ寺院もここにあり、カトマンズの旧市街の雰囲気を味わうなら一度は訪れたいところです。, 言わずと知れた、カトマンズのバックパッカーの拠点として賑う地区。いわゆる安宿、ゲストハウスが集中し、カフェやネパールの土産や登山用品を売る店が軒を連ねます。バックパッカーの情報交換の場でもありましたが、最近はおしゃれなショップなども多く出店され、ネワール建築のブティックホテルなどもあります。, 町から2kmほど離れたところで町を見下ろすように建っているのがスワヤンブナートです。カトマンズがまだ湖であった時代に、この地にやってきた文殊菩薩が湖を切り開き、カトマンズを盆地に変え、大日如来を讃えて、スワヤンブナートを建てたという伝説を持っています。約2,000年の歴史を誇るこの仏塔は、ネパールで最も古い寺院で、世界で最も壮麗な仏塔の一つとされています。
一般的にボダナートが建立されたのは5世紀といわれていますが、確証に欠けるため実際の建立年代は不明です。仏塔は真上からみるとそれ自体がマンダラになっています。四層の台座は地、半球体のドームは水、目が描かれた部分と13層の尖塔は火、頂上の円形の傘は風、先端の尖塔は空、というチベット仏教における宇宙を構成する五大エネルギーを象徴しています。ドームの下にある108のくぼみには、ひとつひとつに仏像が彫られています。 ボダナートの周りにはチベット族やタマン族の経営する商店、おしゃれなカフェがたくさんあり、マニ車やチベット・アクセサリー、ククリ、手織りのカーペットなど色々なものも売られています。, 河口慧海の碑 TEL 06-6367-1391(代表) / FAX 06-6367-1966, 営業時間:月曜~金曜 10:00~18:30 (土・日・祝祭日 休業) 「ここに日本とネパールの友好が始まる 河口慧海1899年2月、仏教の原典を求めてチベットへの旅の途上、日本人として初めてネパールを訪れた河口慧海は、ブッダ・バジラ・ラマ師の庇護をえて、ここボードンクァートに滞在し、苦難の末チベットへ入り多くの貴重な原典を日本に持ち帰った。ブッダ・バジラ・ラマ師をはじめとする多くのネパールの人々の温かい支えなしにこの偉業は成功しなかった。 人口順位: 都市名(日本語 / 英語 / ネパール語) 人口: 州と郡: 1: カトマンズ / Kathmandu / … ネパールの新型コロナウイルスの累計感染者数が日本を上回った。さらに、直近1週間の1日当たりの平均新規感染者数も2,000人の大台を超えた。圧倒的多数はカトマンズ盆地内での感染である。保健人口省が公開しているグラフを基に、ネパールの感染状況を伝える。 〒530-0051 大阪市北区太融寺町5-15 梅田イーストビル4階