Bailey, J.B. (1997). あれはスピノサウルスというよりアクロカントサウルスっぽいもの、とされている 26 名無しのひみつ 2020/10/04(日) 14:35:49.21 ID:yLFmfl5f スピノサウルスはティラノサウルスに匹敵する強さ。 II. 27 (1): 108–115. Therrien, F.; Henderson, D.M. Tail-propelled aquatic locomotion in a theropod dinosaur Nature (2020)Cite this article, National Geographic Reconstructing a gigantic aquatic predator, http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052970203714004580148763687481660, “Ergebnisse der Forschungsreisen Prof. E. Stromers in den Wüsten Ägyptens. また、当サイトで提供する用語解説の著作権は、(株)朝日新聞社及び(株)朝日新聞出版等の権利者に帰属します。 "My theropod is bigger than yours...or not: estimating body size from skull length in theropods". 3. スピノサウルス(Spinosaurus)は、中生代白亜紀前期から後期(約1億1,200万 - 9,350万年前)の現アフリカ大陸北部に生息していた獣脚類(魚食・肉食恐竜)[1]。, 属名は「棘トカゲ」を意味する[2]。中国語名はラテン語の意味を合わせて「棘龍」(ジーロン)と翻訳された。, 骨格標本から推定される成体の全長は12.6メートルから18メートル。既知の肉食恐竜の中でも最大の大きさを誇り、ティラノサウルス、ギガノトサウルス、カルカロドントサウルスなどの他の獣脚類とほぼ同じかそれよりも大きい[3]。部分的なものではあるが非常に巨大な骨格も発掘されている。体重に関してはティラノサウルスに比べ首などが長く細身なため、幾分軽く4トンから6トン程とする説から、後述する水中生活の際に浮力を抑えるためと推定される骨密度の高さから21トン程まで諸説ある。[4], 高さ1.8メートルにもなる胴堆の棘突起は、学名の元になった。この突起の生体については、いくつかの仮説が挙げられている。最も有名なものとして、皮膚に覆われた帆を形作っていたという説がある。この帆は当時の炎暑の気候に適応し、ラジエーターとしての機能を果たしたと推定されている[2]。このような胴構造のため自在な運動は出来なかったとも考えられている。, それ以外の有力な仮説として筋肉の隆起という説もあり、1915年に学名の記載主であるシュトローマー自身が提唱している[5]。この仮説の根拠の基盤の一つとなったのが、バイソン属 (特にアメリカバイソンやジャイアントバイソン)や、メガセロプス等の大型草食哺乳類の骨格とされている。スピノサウルスやオウラノサウルス、大小の程度こそあるがアクロカントサウルス、プロトケラトプス、ステゴサウルス等の背部突起は、ディメトロドンやエダフォサウルスの突起やカメレオンなどの現生爬虫類の帆的な突起よりも、バイソン等が自身の強力な筋肉を支える背部突起との類似点の方が目立つ[6][7]。 また、やはり背部隆起を持つヒグマ同様、獲物の魚を探すための姿勢を保つ必要性があったことや、胚の形態を推測すると帆にあたる部分が見あたらないだけでなく逆にバイソンの背部隆起の成長と類似性が見当たる事、他の近縁種の骨格と比較した際に帆へと進化させるには進化の速度に不自然な部分があり、帆を持つことで他の大型捕食者や他のスピノサウルスなどとの闘争において弱点を持つ可能性があることからも、筋肉の隆起の合理性を支持する声もある[8]。 また、後述の通りスピノサウルスが四足歩行をしていた可能性が後年に指摘されたが、この「Bison-backed-dinosaur (バイソン型恐竜)」の仮説が出された際に四足歩行の可能性も指摘されており、これは後年の発表より数十年近くも前の事だった[6][7]。, その他にも、当時に砂漠的な環境があったという前提で[7]、ラクダの様に栄養分や水分等を蓄えるコブであった可能性も指摘されている。[9], バリオニクスやスコミムス等の近縁種から想像されるその頭部はやや細長く、現生の魚食性ワニであるインドガビアルを思わせる。歯も、魚食性ワニのような“鱗が張り付きにくい表面構造のもの”に類似しており、魚を主食としていた可能性が高い。近年の化石に対するCT検査では鼻腔には細孔が無数にある。ワニと同様に、この細孔に水の動きを感知するための感覚器が集中していたと推測され、このことから主に水辺~水中で獲物を得ていたと思われる[10]。この一方、乾季で川が干上がり魚の取れない時期などの機会があれば、現生のワニやクマのように魚以外の獲物(他の恐竜やその死体など)も食料としていたと考えられる(事実、近縁種で同じく魚食性が強かったと思われるバリオニクスの化石では、消化器官にあたる部位からイグアノドンの未消化の骨が見つかっている)。オンコプリスティス(軟骨魚類ノコギリエイ目)の化石と共に発見されることが多く、2005年に発見された化石には同種の骨の破片が確認されており、両者が捕食者、被捕食者の関係にあったと考えられている[10]。, 白亜紀の現アフリカ大陸北部に当たる地域ではカルカロドントサウルス、デルタドロメウス、ルゴプス、そして本種の4種類の肉食恐竜が存在していた。これらは主食となる獲物の対象を異にしていたが、時にはカルカロドントサウルスに襲われることもあったらしく、カルカロドントサウルスに棘突起を噛みちぎられたと思われるスピノサウルスの脊椎も見つかっており、競合しつつ共存していたことがうかがえる(この事例は、スピノサウルスが四足歩行であったか、二足歩行だとしても従来考えられていたよりも脚が短かったと思われ、後述の説を補強する間接的な証拠にもなっている)[10]。その一方で気候変動で乾季が長引き上記の肉食恐竜との争いが増加した事で、魚食を主にするこの恐竜が争いに敗れ絶滅の要因になったという説も存在する。, 近年の復元図。鶏冠を持ったワニ様の頭蓋骨、手の大型の爪、および水棲生活に適応した短い四肢が特徴。, アフリカ大陸のエジプトやニジェールなどから化石が発見されている。1915年、ドイツの古生物学者エルンスト・シュトローマーにより発見された最初の化石はカルカロドントサウルスなどと共に、第二次世界大戦中の1944年、連合軍によるミュンヘン空襲の際に破壊されてしまった。このため、2013年頃に再発見されるまでは良い標本が無く、謎の恐竜であった[11]。, ミュンヘン空襲による化石の喪失後はノートやスケッチ、写真といった資料しか残存しておらず、復元は難航した[12]。こうした事情からスピノサウルスの復元図は時期によって大きく変遷しており、初期にはカルノサウルス類に属するアクロカントサウルスとも近縁の肉食恐竜とする説も存在したが[13]、1996年にモロッコにおいて頭骨の化石が発見されると、現生のガビアルにも類似する顎の形状からカルノサウルス類に準拠していた頭部の復元は改められ、バリオニクスと近縁の魚食であったとする説に変遷した[14]。, その後、2014年9月11日、シカゴ大学のニザール・イブラヒムが『サイエンス』に発表したところによると、新たに発見されたスピノサウルスの骨格を調査した結果「後脚は水中生活への適応のために、これまで予想されていた復元より短く、陸上では前肢をついて四足で歩行し、深い川で長い時を過ごしサメやエイなどの魚を捕食していた」と唱えられた。これが事実ならば、獣脚類で四足歩行をしていた非常に珍しい種であることになるが[15]、当時スピノサウルスが生息していた地域の環境は炎暑で、小さく浅い川が多かった可能性が高く、仮にある程度の規模の河川があったとしても、現代のアフリカなどの熱帯地域の様に、乾季などの季節によって干上がったり、規模が大幅に縮小する例も多く、スピノサウルス程の巨大な動物が水生に適応し、生態系を形成できる程の大河が存在したのかという環境的な点や、浮力を活かしづらく、遊泳(特に潜水)にデメリットとなる帆を持っているという生物としての形態的な点(ワニやカバ、エリオプスなど、水中生活に適応した動物の殆どは現生種・絶滅種問わず浮力を活かし易く、遊泳の際に水の抵抗を受けにくい体型となっている)、ディプロドクスなどの当初は水中生活をしていたと推測された恐竜が実はそうでなかったなど研究史の変遷などの点から、疑問視する意見もある[16]。, その後、2020年に発表された最新の知見においては、スピノサウルスの尻尾はワニやイモリ、そしてある種のオオトカゲのような太さを備えていた事が示された[17]。この研究は2018年に見つかった131個の骨片(内36個が脊椎)を元にしている。この報告が正しいとするならば、スピノサウルスは、垂直に伸びた尾椎の突起をまるで船のオールのように使って水中を泳ぎ回っていたことになる。以前から獣脚類が時として水中を泳ぐ事があったのは足跡の研究により示唆されてきたが、スピノサウルスの遊泳はそれよりも遊泳効率を高めたものと推測されている[18]。, バリオニクスなどと共にスピノサウルス科に分類される。日本からもこの仲間と思われる歯の化石が群馬県神流町及び和歌山県湯浅町から発見されている。, モロッコで発掘された頭骨化石は2018年、化石収集家により成城学園(東京)に寄贈された。実物は研究のため群馬県立自然史博物館に貸し出し、校内でレプリカを展示する計画である[19][20]。, また、この頭骨に準じた全身復元骨格は、日本の幕張メッセで行われた『恐竜博2009』のために作られ公開された。この標本は長野県の飯田市美術博物館が収蔵展示している。2013年の新標本や2014年の水棲説強化をふまえた新復元の全身骨格は2016年に開催された『恐竜博2016』にて公開された[21]。.